どちらかというと、コミュニティからは負の圧力を受けているような 気もします。「負の圧力を受ける」というのは、 コミュニティで流行ってしまったがために読まなくなる、ということですね。 みんなの読んでいるものは別にわたしが読まなくても かまわないか、などと思ってしまうのです。
具体的には、マリみての『子羊たちの休暇』をまだ読んでないのも、 『真夏の一ページ』は買ってすらもいなかったりする (青木祐子『ソード・ソウル』は買ったのに)のも、 これとは無縁ではないように思います。
そろそろ、『ミステリ系更新されてますリンク』 を全面的に作り直します。
まず、Last-Modified:がないページは拾えない、というのを 見なおします。これは、実はリンクしない場合の言い訳としても 機能していたのですが、これだけ増えると、もうどんなページを リンクしてもいいような気がしてきますし。
また、個人的な要望として、ミステリ以外のリンクページがほしく なってきた、というのもあります。今までは SF日記更新時刻と Linkavailable: Ruby,diaryを中心に、あとは ブックマークやgoogleを使ってたどっていたのですが、さすがに 限界を感じてきました(今さらですが)。
で、どうせ作り直して二つ用意するなら、もっといっぱい動かせるように してもいいだろう、 というわけで、はてなアンテナのような登録型のアンテナサイトにしようかと 考えています。
某所では「打倒はてなアンテナ」とか口走ってしまいましたが、 別にはてなを超えるページビューを獲得しよう、というわけではもちろんありません。 はてなアンテナのAlternativeを提示できればいいなあ、という くらいです(弱い)。Web初心者にも使いやすく するためにさける労力も技量も器量もないですし、 スケールを維持する体力もありませんしね。 『ミステリ系更新されてますリンク』が実用になるくらいに 動く以外は、例によって例のごとく実証実験程度に 思ってくださいませ>某所にいた方々
さて、こういう新たな企画を考えるときに肝心なのは「名前」です。 いい名前は、単にユーザにその性質を伝えやすいだけではなく、開発者の 士気にも大きくかかわってくるのです。 かっこいい名前が決まれば、実装に必要な気力の半分は獲得できたも 同然といっていいでしょう(<結構本気)。もちろん名前だけでは どうにもならないのは事実ですけど。
そこで、どんな名前がいいか考えてみました。
最初に思いついたのは、見出しには 「アンテナでも作るか、ヒマだからな!」という言葉を掲げ、 FAQには、
Q. 登録可能な人数は何人までですか?
A. 五万人だ!
完
てなことを書いて、名前を「ごまんてな」にする、というものでした。 が、どうも世間一般には上野顕太郎も帽子男もあんまり 知られてないみたいなんですよ……。なんということでしょう。 ショックです。やはり適切な名前を考えるのは難しいですね。
というわけで、新たな名前を思案中です。 いつになったら実装にとりかかるのやら。
「ライトノベルフェスティバル」は寝つぼってしまいました。すみません(_o_)
「読書のカタチ」話のつづき。 「回避」というのはいい言い方じゃないなあ、と思ったので。
読書コミュニティが成立すること自体はよいことだと思っています。もちろん。 コミュニティそのものを「回避」する必要はぜんぜんありません。 が、読書コミュニティは、 構成員みんなが同じ本を読むような場ではないはずです。 むしろ、コミュニティの成員が各自若干異なる本を読み、 いろんな本をいろんな風に読むことについて情報を交換しあう場で あるほうが面白いんじゃないでしょうか。
コミュニティに導かれて読む、という受動的な読書より、 コミュニティ(のうちの、自分に近い趣向をもった一部のひと)を 自分が好きなものの方にそれとなく導くような能動的な読書の方が 理想的。あくまで理想、ですが。
なんてことを思いながら、今読んでいるのは『指輪物語』 (いちおう再読。しかしほぼ20年ぶりくらいだ)と ソブケン『ふつうの学校』だったりします。
んー、なんだかんだといって、子供向けの本のカテゴリのなかに しっかりおさまってしまっているように感じました。 いいのか悪いのか。 まあ、ソブケンファンなら読んで損はないでしょう。
sheepmanさんの「まわるーまーわーるーよ」と、たださんの こ の 辺 の話より。
わたしの若い頃は、(ハイパー)日記といえば津田日記リンクスでした。 検索エンジンといえば千里眼に引き続きODINが登場し、 更新時刻つきリンク集といえばべんりくんだったものです。
そして私は、「hirayanさんすごいなあ」と思いながら、 みすりんの更新にいそしんでいました。
そう、世界はリンクでできていたのです。 そしてみんな日々リンクによるコミュニケーションを楽しんでいたんです。 少なくとも、1995〜1996年の昔は。そうでしたよね?
そんなわけで、その当時の日記もけっこうリンクでコミュニケートしていた ような気がします。 もちろん、段落アンカーはまだなくって、 人名をアンカーにして、その人の日記にリンクするスタイルだったような。 段落アンカーは、あれば便利なものですが、それは単に技術的な差でしかなく、 リンクによるコミュニケーションへの志向性とは関係ないように思います。
Kさんの4月16日のところからリンクされて赤面物だったりするのですが、 「リンク集と相互リンクが日記(群)をコミュニティにする」という考えは、 今も変わっておりません。
それにしても、わたしはこの「リンク」というつながり方・距離感覚が本当に 好きなんだなあ、といまさらながら思います。
ところで、 Kさんの4月20日にある、 shakaさんのところ由来の「〜は死んだ」という言葉ですが、詩の世界では 「詩は死んだ、詩作せよ」という言葉が有名です (言い出したのは瀬尾育生で、元ネタはベケットの「想像力は死んだ、想像せよ」 だそうな)。
希さんから電話。今までは守りの人生だったので、これからは もっと攻めの人生を目指すんだそうな :-) さすがだ。