_ 復活してみる。
_ 4月の1日の 日記に書いた、「トピックのt」ですが、あれは私の勘違いでした。 混乱させてしまってすみません(_o_)
_ いかんね。精進せねば。
_ nDiaryをバージョンアップしてみる。topicとかはもうちょっとしてから。
_ 新居昭乃の久々の新譜、『降るプラチナ』をずっと聴いている。いやまあ久々と いっても、10年も間があいた前回に比べれば短いものだが。
_ 上の文は一曲目、『スプートニク』の中からの引用。最初にタイトルを 聞いた時は「はあ?!」と思ったのだが、曲と歌詞カードで納得。「古い ソ連・東欧圏のSF映画のよう」と言っていたような話もあるが、 そんなイメージとしての『スプートニク』。そして、テクノロジーと 想いを重ねていく、という手法。こういうものの常として、どうしても テクノロジー側が弱く、イメージに寄り掛かるものが多くなって しまいがちなのだが、実際このアルバムもそのきらいがある。しかし、 『ガレキの楽園』なんかを聴いていると、そんなことを思いも させないくらいの力強さがあって。
_ 「誰が壊してもいけない」と、叫ぶように懇願していたその声 と同じ声で、「僕は戦う」と歌う。そうか、ここに来たのか、と思う。
_ も一段落。どうもお疲れさまでした>わたなべさん。
_ ひみつ原稿……と言っても仕方ないか。 「OpenDesign」のRubyでインターネットな原稿。 前回は40ページもある! と言って一部に言い触らしたものだが、 今回はなんとさらにページが増えている(汗; ほ、ほんとにいいんですか?! しかも内容的には時間とページが足りなかったため消化不良気味かも ……うーむ。
_ いやまあ、相変わらず好きな事を書かせていただいているので、 私としては文句のつけようもないのですが。次回も頑張ります。
_ SFセミナーなどについてはまた今度。個人的にはセミナーの前に 浅暮邸と小浜邸で三村さんなどと話したことの方が大きな「事件」 だったのだが、それについて後で書きたい。書かねば。
_ Toshさんの日記を読む。おお、そんなことが(<本人は覚えていなかったらしい(汗;)
_ 標準インストールスクリプトは私もすうううっごく欲しいです。私の 某発言は、実はそんなことも踏まえていたりします。
_ notさんの日記を読む。 更新時刻取得エージェントのソースは、今でもどこかに置いてあります (でもどこに置いたんだっけか……)。 でも、うちのはいわゆるアンテナ間通信をしていなかったので、 あんまり人には勧められないんですよ。その辺は、これからLIRSと 朝日奈DIに対応することで進めていく予定で、そこまでできたら まじめに配布しようかと思っています。が、いつになるやら。
_ そういえば、 うささんの julia のソースも拝見させていただきました(_o_) んー、でも、ちょっと趣味が違うかも。
_ そうそう、 独我論関連 ですが、……わたし的には「客観」はもちろん、「主観」についても そんなに自明に語ってしまっていいのかな? というのがあります。 主観といったって、極端な話、「順列都市」の塵理論の言うところの 「塵」からできているのかもしれないですし。 ……なんて考えは、SFを読んでれば自然に考えるようになると 思います。
_ 某ブックオフとか、某bk1とか、某本とコンピュータとか、 某絶望書店とか、そのあたりのひとを焚きつけて集めて、 出版の現状を語るディスカッションとかができたら面白いと 思う。さすがにDASACONではできなさそうだが。と言ってあきらめて しまうのは寒いのか。うーん。
_ なんとなく、 DASACON の「イタさ」というのは、 コンダラーズの「イタさ」 に通じるところがあるんだろうか。いや、少なくともコンダラの イタさは括弧つきの「イタさ」で、直接批判するつもりは ありませんが。Ruby関連ではお世話になっている方も多いですし。 でも、変な符牒が多いのには、ちょっとひいてしまう。
_ ……しかし、この比喩は世界で30人くらいにしか通じないような 気もする。
_ 発売日前に本を手に入れる、というと、講談社ノベルスの 「メルカトルと美袋のための殺人」が発売日前に某所のオークションに かけられた際、5,000円以上の値段で買った後、 「もっと出してもよかったのに」 と涼しい顔をしていたのぞみを思い出す。まあ、「当たりまえでしょ!」 とか言われそうだが。
_ ついつい書きすぎてしまう。
_ まず、5月28日の日曜日、横浜のHMVで遊佐に合う。遊佐は大学の同期で、 教養部新入生歓迎実行委員会というか、学生用集会室つながり。 でも、ほとんど5年振りくらいかな? むちゃくちゃ久しぶり。 しかしまったく変わってないのには笑ってしまった。
_ 横浜のHMVには新居昭乃のインストアライブを観に行ったのだが、 ライブ終了後、 藤澤さん にお会いする。妙に人が多かったので、 まあ誰か知り合いがいてもおかしくはないか、 と私は思っていましたが :-) しかし昭乃MLですか。このところ登録が多いのはそのせい? (さぼっててすみません>jijiiのみなさま)
_ 31日には、会社帰りにエイブルソン&サスマンwithサスマンの 『計算機プログラムの構造と解釈 第二版』(ピアソン)を買いに 都内某所へ行くと、 荻野さん にばったりお会いする。ちょっとびっくり。 「この前東西線で見かけましたよ」と言われてしまう(^^;
_ そういえばHMVでは並木さんにもお会いしたし、 今週は谷山浩子つながり な方にお会いする日々だったのかも(<たぶん気のせいです)。
_ ちなみに日曜には横浜美術館にも行ったのだった。 せっかく横浜まで来たのだからやはり観に行かないとね。
_ というわけで、少し遅れてついたところ、ちょうど山形さんの 話が始まるところだった。それまでは塚本さんの話があったらしい。 山形さんは「大腸菌は自分が人間の中にいるのを認識したらどうするんだろう」 とか、(ハイナーの写真は)大腸菌-人間のまなざしで人間-都市を写している、 などと、いきなりSFな発言をとばしていた。
_ 話を聞いて思ったのは、都市というのはtoolkitだということ。 そして東京という都市は、デザインの一貫性もなければ、バージョンごとの 互換性もない。てきとーな思いつきのまま、バザール方式で組み立てられて しまったtoolkitなのだろう。だもんで、このtoolkitを使うひとは、 その中から自分に必要なところをみつくろって、騙し騙し利用することに なる。toolkitにアプリを合わせる感じ。この街はそういう街らしい。
_ 「狭苦しいマンションに住む犬は幸せか?」の話も面白かったけど、 この「エントロピーの森」の由来も面白かった。山形さんは「ハイナーが 言い出した」と言い、ハイナーさんは「山形が思いついた」と言う。 由来にならない由来。
_ ついでに 山形浩生の連作SF短編集(豪華写真つき<かなり事実誤認)も買う。 謎のコア・ダンプさん作曲の挿入歌「インフラドリーム。」では シンプレックスがコンプレックスにマルチプレックスしていたり する。ううむ。
_ そういえば塚本由晴は 森博嗣に ちょっと似ているような気がした。建築のひとだからだろうか。違うか。
_ うささんの日記 を読む。いや、私はひとのコードをRuby的かどうか云々できるほど Ruby Hacker ではないので……(弱気)。
_ とはいえ、気になったところを挙げてみます。
RfcDateクラスやUrlクラスでは、new(initialize)と parseが分離しています。いや、メソッドとして分離されている のはいいんですが、newしただけではparseされないのはちょっと。
そうすると、
hoge_url = Url.new('http://nanntara.kanntara.jp/hogehoge/') hoge_host = hoge_url.host(2000/06/03 例がちょっとヘンだったので修正(汗;)
なので、newでparseを呼んだ方が、使う側が間違えなくて よいかと。
そもそもUrlクラスはRAA にも登録されている URIモジュール を使いたいところです。 また、HTTP経由で奪ってくるならhttp-access.rbなりnet/httpなり を使う方が、個人的には好きです。
まあ、この辺の、「どこまで自分で書くか」については、 まさに「趣味」によるところが大きいですけど。
わたしは、朝日奈DIをparseして、Method情報も利用し、 競合する情報をどうやって排除しようかねえ、optionalな情報は どう利用しようかねえ、などと考えていたので、 趣味というか、方向性の違いを感じたのです。
_ とりあえずnewのところだけはなんとかした方がいいかと思います。 あとはコードの目的によるところ大なので、 参考程度にしていただければ幸いです(_o_)
_ 残念。
_ というか、全体的に「エンターテインメントとしてのSF」についての 考察がないような気がする>『日本SF論争史』
_ 「文学」と「娯楽」という分け方は古いかもしれないが、『明日の大文学』で ありながら娯楽としても優れている、というか、要するに多くのひとが 楽しめる(あえて「売れる」とは書かないでおく)作品を待望する気持ちが、 そして実際に多くの人に読まれている(やっぱり「売れる」とは書かないで おく)作品を肯定する力が小さいように思える。 売れ行きSF論はつまらないかもしれないが、魂を売らずに作品を売るには どうすればよいかを考えるべき問題だろう。
_ #↑要するにヤングアダルト・ライトノベルを無視しているのが納得いかないのか?>自分
_ それにしても「SFゲットー論争」が読みたい今日このごろ。 イスカーチェリにダイダロス・アタックを喰らわす山形さんとかも。
_ というわけで、先日触れた 三村さんとの話。あ、すべて記憶で書いているのでフィルタがかかっている と思ってください。
_ まず最初に話したのは、「ジャンル」と「読み手・書き手」 との関わりについてだった。
_ 三村さん曰く、SFの場合、作品から「書き手」が透けてみえる ことが多い、そして「透けてみえるもの」を読んで楽しむ、というひとが ジャンルSFの読み手には少なくない(もちろんそうでない人もいる。 科学萌えなひととか)、 と指摘し、さらに自分もそういう読み方をする一人である、と言った後、 ミステリにはそういうのがほとんど感じられないんだけど、実際のところ ミステリファンはどう思ってるの? という質問を受けた。
_ 確かに、ミステリの中に人生を織り込むというのは、例えば動機にあらわれる 場合はあっても、トリックやロジックに人生を織り込むというのはごくごく 少数派だろう(そうですよね?>ミステリのひと)。動機にしても、 人間一般に関わる動機はあっても、作者の個人的な想いが込められた、 そしてそれを読者に陽な形で伝えるものは少ないだろう。たとえ 作者としては切実な感情が込めた作品であったとしても、それが 作品そのものから容易に読み取れるものにはなりにくい。
_ ……と思ったが、あの場ではあんまり上手く言えなかったような気がする。
_ さらに少し考えると、本格ミステリのパズル性を突き詰める──というか、 そのものであるパズルの場合、それはさらに希薄になる。というか、 「スリリン」とか「ぬりかべ」を見て、「作り手」を読み取ったり、 また「作り手」が透けてみえるような作品を作るのはちょっと不可能である。
_ ……しかし、良く考えてみれば、作者性が露骨にあらわれる事は、 一般的には少ないのでは? SFの方が例外的なのではないだろうか。
_ この話をしていて、思い出したのは穂村弘の短歌論が収められている 『短歌という爆弾』という本だった。これはすごい本で、短歌が分からない ひとは今すぐこの本を読むべし、と思ってしまう程の大傑作だった。
_ この本の特徴は、作者があとがきにも書いているように、 「一般に見られる歴史的、技術的、人生的な読みとは大きく異なる 〈実存的な読み〉の可能性を探るものとなっている」という点だ。 そしてこの〈実存的な読み〉こそは、三村さんが言うところの 透けてみえる作者を読むことに他ならないように思う。
_ もっとも、短歌の場合、歌が作者とシンクロしてみられる、 という、特殊な形式性によるところが大きい(らしい)。要するに、 短歌は通常一人称で歌われているものであって、しかもその一人称は 「作者」(とりあえずカギカッコつきではあるが)のものである、 ということが仮定される(のだそうだ)。そのため、作者の実存を 陽に埋め込みやすい形式なのではないだろうか。
_ といったことはともかく、 わたし的には、短歌についてほとんど何も知らなかった(穂村さんの 歌集は読んでいたけど)のだが、これを読んで短歌の読み方が理解 できるようになったこと(だからと言ってどんな歌でも読めるように なったわけではない)、早坂類や東直子、葛原妙子といった秀れた 歌人を知ったことも収穫だった。
_ ちなみにこの本は吉野朔美の歌った歌も載っているので、 その方面の方もぜひ。
_ 愛・蔵太さんの日記を読む。いやまあ読んだのはかなり前ですが、 読み返したので、今さらながら。
_ で、だ。
_ ええええっ、服部まゆみはミステリマニアには有名ですよ? 少なくとも わたしの周りには、服部まゆみファンとか、ファンじゃなくても 一目置いているひとはごろごろしていたような。
_ まあ、「このミス」でミステリマニア一般を論じるのは無理、ということ なんでしょう。「このミス」はマニア筋の見解をその程度しか拾いきれてない、 と悟った方がいいんじゃないでしょうか。 「このミス」を読んで、「わかってねーよ!」と思うところから ミステリマニアへの道が始まるのです。
_ って、私はマニアではないんであんまり良くわからないんですけどね :-)
_ あ、光原百合さんの本は女子パウロ会から4冊は出ています。 もう1冊あったかな? 翻訳を含めるともっと増えますよ。>安田ママさん
_ LIRS のバージョンがあがったので、lirs.rbを 更新。
_ なお、lirs.rbは、最終的には朝日奈DIや、できればRSSも 読み込める汎用ライブラリの一部になる予定です。たぶん。 しかしRSSはDI関連とは基本的に異なる世界のなので悩ましい。
_ それはさておき、このライブラリを使って、
_ ・いわゆるアンテナ ・読みたい日記の最新版だけをげっとできるプリフェッチャ(Web日記自動巡回ツール)
_ を作りたいと思っている。 前者は次世代 ミステリ系更新されてますリンクとして、後者は日々の日記読みのために。 や、はっきりいってこういうツールがないと、日記を読むのがつらくなって きたので。
_
おお、どなたかと思ったら。
某MLでの発言は読んでましたが、日記は
読んでなかったのでちとびっくり。
「短歌はプロに訊け!」はもちろん知っていた(たいてい並べて売って
ますから)のですが、ちゃんと読んでませんでした。
_
ひやさんの日記
を読む。
あー、無断で実装してます(^^;
lirs.rbへの
リンクは構わないです。が、ページもないのはまずいか。
なんとかします(_o_)
_ わたし的には自動的に取って来てくれなくても構わない んですが、
_ というところですね。まあ「頑丈」ということなんですが。
_ RubyUnitはまだ使ったことがなかったりします。や、興味は あるんですが。
_ HTTPやFTP越しにファイルを拾ってくるためのメソッドを 書いてみたが、クラスにするかモジュールにするか悩む。基本的には Fetch::fetch(url, [chunk_size]) しか使わないので、どっちでも ありに思う。
_ でも、例えば複数の接続を行いたい時は、個別のproxyを持った(あるいは proxyを持たない)インスタンスが複数ほしい、という場合もあるか。 ということでクラスにした方がいいかも。
_ ……書き直さないと(汗;
_ 『「知」の欺瞞』を読む。 くろきさんのページでソーカルの話を聞いたときから気にはしていた 本。現在半分くらい。思ったよりも穏健な本らしい。
_ ラカンとかクリステヴァとかへの批判の場合、各人の思想の内容までは 踏み込まないので、単に文章表現への指摘にしかなってない。要するに、
てゆうか木下是雄くらい読むように>ラカンとかいうひとと言っているようなものか(「ラカン」は「クリステヴァ」でも 「ボードリヤール」でも可)。 この部分だけでは、別に『告発の書』でもなんでもないような。
_ 問題は相対主義批判の方にあるんだけど、こちらと、上記レトリック批判 は直接結びついていないみたいな気もする。
_ のぞみからメール。奨学生になれるらしい。良かったよかった。
_ 「針の女 (A NEEDLE WOMAN)」@ICC と 横尾忠則の講演会「インスピレーションはどこからくるのか」 を勧められたので、行くことにする。
_ というわけで、昨日のfetch.rbが一応動くようになる。
_ しかし、ここで問題が。http-accessの場合、proxyを使うと ftpが使えないようになっていた。ので、ちょっといじって なひさんにメールする。
_ RubyのIRCを覗く。名前を名乗ると反応があるのでびびる(汗;
_ 新井素子MLで、『チグリスとユーフラテス』読書会を 開催中。今週はまずpart1。 遅ればせながらメールを書きまくる。
_ 個人的には(MLとは関係ありませんが) 湯川さん の感想文を楽しみにしています(^^) いや、ヘレン・ケラ一さんは たしかに天才なんですけど、田舎に帰らずに書いてほしいものです。
_ Rubyでの文字コードの扱いを考える。
_ まず、世界の文字コード(文字符号化方式)を強引にいくつかに分けてみる。
_ 上記4通りでたいていの文字コードはほぼ網羅できていると思う。
_ そしてRubyについて。Rubyの場合、$KCODEで扱われているのは、
_ の4通りである。
_ ところで、この4通りは、上に書いたa)〜d)に対応している。 だから、$KCODEの値を、一般的な文字符号化方式に拡大しても よさげな気がする。その場合、
_ などと再定義すれば、辻褄も合いそうである(やや自信なし)。
_ 問題になるのは、これ以外の符号化(ISO-2022-JPとか)と、 結合文字についてだ。が、前者については現状でも直接は 扱えていないのでこのまま放っておく、後者については 結合文字の処理は今後の課題、ということでこちらも 放っておくのが賢明……だろうか。少なくとも、現在のRubyの 正規表現エンジンに手を入れてできること、というのはこの辺りが 限界なような気がする。
_ ……と、考えるのはいいのだけれど、Rubyのmbc周りのコードは ちゃんと読めてないので実装には手を出せないのだった(汗; 駄目すぎ。
_ というわけで、「針の女(A NEEDLE WOMAN)」と 横尾忠則「インスピレーションはどこからくるのか」@MOTに行く。
_ まずは「針の女」を見に、ICCに行く。初台に行くのは「Free on Free」 以来。例によって迷いながらICCに入り、受付に行くと、「本日は常設展 のみです」と言われる。針の女を観に……と言うと、それは無料なので 右手奥へ、とのこと。
_ 入り口でパンフを受けとり、入る。
_ そして、観る。
_ ……。
_ 観ながら、あとでこれを日記に書くとき、どういうことを書けば いいのだろう、などと考えていた。例えば会場でもらったパンフには、 いかにもな説明が書かれている。
「ただ雑踏に立っているだけの彼女の後ろ姿に、なぜこ のように一喜一憂するのであるか。微動だにしない後ろ 姿の果敢さが、ある決意を放射しているからである。生 存のすべてをあずけたパフォーマンスに立ちあわされ ているらしいからである。彼女はあるいは街頭にいるの ではなくて、黄泉とこの世、生と死の間を往還している のかもしれない。(略)」
_ こういう書き方をしていけない、と思う。少なくともこの部分のような言葉を この作品について書いてしまうのは違うんじゃないか。 なぜならこの作品は解釈を拒んでいる(ように見える)ので。
_ 会場は長方形のやや大きめの部屋で、長辺に2つずつ、短辺に1つずつ、 スクリーンがある。合計6つの、それなりに大きな画面。そこで、それぞれ 画面ごとに別々の映像が、繰り返し流れている。
_ 画面に写っているのは、カメラに背を向けて、ただ突っ立っているだけの女。 その背景は、画面ごとに異なる。 ある画面では女の周りを行き交う渋谷の人々だったり、 ある画面ではN.Y.の人々だったり、ニューデリーの人々だったり、上海の人々 だったり、あるいは河の流れ、あるいは雲の流れだったりする(一番最後のでは 女は岩の上に横たわっている)。 それだけの画面を、編集もせず、ただ垂れ流す。 何分間(10分くらい? けっこう長く感じられた)か流したあと、クレジットが 現れ、そしてまた冒頭に戻る。これを延々繰り返している。 そこには仕掛けも、トリックも、プロットも、ロジックもない(<ミステリじゃないんだから)。
_ こういう作品について、何をどう書けばいいのだろうか。 これは○○を表したものである、と言ってしまうことはできるかもしれない。 が、それは違うだろ、と思えてならない。ここに写し出されているのは ただの風景だ。そこに女がいなければ。そこに女がいても、それは女と 風景だ。
_ 実は会場には先客が一人いた。高校生くらいの、ちょっと派手めな女の子。 でもいい感じ。 入ってきたとき、彼女は「洗う女」の画面(河を背景にしたやつ)の すぐ前に立っていた。あまりに前に行きすぎて、画面全体を見渡す ことができないほど。そして、後ろから当てられているプロジェクターの 光も、彼女の体にさえぎられて影を作っていた。その影が、画面中に 立つ女の後ろ姿に重なっていた。……まるでその子も作品の一部であるかのように。 ちょっとできすぎな感じ。
_ でも、面白そうので、彼女がいなくなった後に自分でもやってみた。 後ろから見た感じとは違う風景に見えた。なるほどね。 これはこうやって観る作品なのかもしれない。
_ なんだか奥が深いねえ(<浩祥まきこ風)。
_ そそくさとMOTに向かう。
_ バス停で待たされて、着いたのは15:00ちょっと前くらい。 会場に行こうとする……と、「満員のため受付は終了しました」との 貼り紙が(;_;) それでもあきらめずに受付に向かうと、数名の客が受付前にいた。 「満員で立ち見もできません」ということだったが、そこをなんとか、 と数名の先客と一緒に頑張ると、「声だけしか聞こえませんけど、 いいですか?」とのこと。別にいいかと、入る。
_ というわけで客席横の通路のようなところに入れられる。ステージは一切見えず、 会場の雰囲気は一切分からず。最初と最後に歌が聞こえていたが、何が歌っていた のかは不明(おもちゃらしいけど)。
_ そんな状況で横尾忠則の話を聞く。
_ ロスへ仕事で行った際、仕事そっちのけでアイマックスシアターを 観たこと、ああいう頭で考えるのではなく、体で、五感で感応できる ような、びっくりしたり興奮したりできるような芸術があればいい、という ところから話は始まった。
_ それからコレクションの話。物は見るだけじゃなくて、自分の生活空間の中に 置いて眺めるのがいいということで、子供のころは虫、切手、野球選手のカード、 メンコなどと集めて、最近は滝のポストカードを集めている。などと いう話から、そのポストカードを集めて「供養」した企画 の話へと。
_ 宝塚の話もあった。神戸に仕事で行った際、ホテルの裏が宝塚だったので 観に行ったら、名前も何も分からなかったけどすごく興奮した。そこに いる自分が本物で、外の現実の方が偽物に思えたくらいに。それでブロマイドが 欲しくなり、店屋に行くと300枚くらいしかなかった。でも、300枚くらいなら 自分のキャパシティの中にあるようだったので、「1000枚ください」と 言って店の人をあわてさせたそうな(あとで取り寄せられたらしいけど)。 そして1000枚のブロマイドを手に入れて、「どうしよう」と途方に暮れつつ(← キャパシティを超えているので)150号のキャンバスに並べ出し……という ところからまた作品のようになっていくらしい。
_ さらに、涅槃像を集めているときに、旅行中タクシーで流していたら 「涅槃屋さんが」(笑) 良くみるとパン屋さんだったとか。
_ とにかく、考えたり考えさせたりすることよりも、感じたり感じさせたり すること、生理的なものの大切さが全体の基調になっていた。 MOMAでピカソの絵を観た話では、日付に注目して、 恋人と付き合いはじめると、それまでキュビズムみたいに描いていたのが 新古典みたいになったり、関係がうまくいかなくなるとまたすごい絵に なったりしているのを確認し、ピカソは思想や価値観ではなく生理で 描いていた、と思ったりとか。
_ また、一時期神秘主義っぽいものにも傾倒していたそうだが、 「あれは世界が広がるように思えたけど、実はせまくなる」という ことで今は関わらないようにしているらしい。そういうものにも 縛られたくなり、自由でありたい、ということで。
_ 最後の質問ではウォーホルに会った話なども披露。「集めたものを どう管理しているのか」という質問には「まあなんとか」と笑って 答えていた。
_ そんな感じで、姿は最後まで見られなかったが、話は面白かった。
_ 帰り際、三宅一生の講演会のチラシをもらう。ついさっき決まったらしい。 7/7(金)、午後7時からで、申し込みは6/27までに往復葉書を郵送とのこと。 定員は200名で、応募者多数の場合は抽選。
_ しかし平日はかなり厳しいんですが……むう。
_ いや、小説ではなく、コンピュータ系の本の話。しかも専門書だから 高い。そして読む時間もかかる。というわけで新刊購入量・読書量がさらに 減るのだった。
_ というわけで本屋に行く。
_ まあ、知ってるひとは知ってる本。
_ 今まで知らなかったのだが、 うちから歩いて10分ちょっとのところにケーキ屋があるらしい。 というわけで行ってみる。
_ それなりに大きい店だったが、外装・内装とも二昔くらい前な 感じ。喫茶があるので、チーズケーキとシュークリームと 紅茶を頼む。
_ チーズケーキは厚焼きたまごのような奴で、味は濃いけど 重すぎない。これは当たり。シュークリームもまあまあ。もうちょっと 酸味の強い方が好きだけど、これは好みの範疇だろう。
_ ついでにイチゴショートも頼んでみたが、これはちょっとかな。 クリームがいまいちだったので。
_ という優雅な環境で、「リファクタリング」を読む。
_ ……なるほど。面白い。
_ 「リファクタリングはソフトの外部的振舞いを変えずに内部構造を改善する作業である。」と規定した上で、
_ と主張している。
_ Rubyとテストの相性は案外いいのかもしれない。
_ Rubyの変数は動的な型を持つため、型チェックが弱い(チェックしない)。 どんな型の値でも変数に代入可能だ。 このため、Javaなどの静的型言語に比べて実行前(コンパイル時)のチェックが甘くなり、 実行時エラーが増えやすい。
_ Rubyは「堅牢さ」よりも「楽しさ」を優先しているプログラミング言語なので、 これは仕方ないとされていた。いざとなればあおきさんのmust.rbのような 手もある。が、これも兼ね合いが難しい。そもそも多用するのはRuby らしくない。
_ そこでテストである。テストをうまく書いておけば、 Ruby的には「堅牢な構成」よりも「ちゃんと動く」ことを重視したい ので、(適度な)テストを重ねる、というのは、Ruby的にもいい方向だと思う。
_ あとはテスト用ツールやrefactoringツールが揃えばもっと幸せになれそう。
_ 読了したので、考えてみる。
_ プログラムpに対して、プログラムの外的振舞い behaiv(p)というものが 考えるとする。リファクタリングとは、 前に書いた通り、 「ソフトの外部的振舞いを変えずに内部構造を改善する作業」 ということなので、つまりbehav(p) = behav(p')となるp'を 求める作業に他ならない。 当然ながらここで p' とはどんなものか、つまりどういう「内部構造」 が「改善」されていると言えるのか、という話も必要になる のだけれど、めんどくさいんでそれは「見れば分かる」ということにする。
_ さてpを変更させる、つまりプログラムを変更するには、プログラムに 手を入れるしかない。しかしここに大きな問題がある。ふつう、 プログラムに手を入れると、それが振舞いを変えていないかどうかが 分からないのである。ていうか、分かれば苦労はしない。
_ ではどうすればいいか。
_ リファクタリングの発想は、プログラムの修正の仕方と、その修正が 正しいものであるかの確認の仕方を整えれば、振舞いを変えることなく プログラムを修正できる、というのが元になっているのだろう。
_ どのようにプログラムを修正しても、振舞いが変わったかどうかを 判断できるような確認方法を規定するのは難しすぎる。
_ pに対する細かい差分をΔpとする。これはパッチだと思えば理解しやすい かもしれない。pをp'にするには、pにΔpを繰り返しあてればよい。つまり、
p + ΣΔp = p'
_ となる。このとき、
「behav(p) != behav(p+Δp)」であれば「test(p)!=test(p+Δp)」 となるようなtest関数とΔpを求める
_ ということができればよい。これがリファクタリングの要だろう。もちろん test関数がRubyUnitなどのテストフレームワーク、Δpがリファクタリングの カタログだ。
_ ……という感じかな?
_ の構想を練る。
_ が、だんだん洒落にならないような気がしてくる(汗;
・Perlが the first postmodern language なら、Rubyは the first Babel-17 language である。 ・RubyとPerlの違い Perl: TMTOWTDI(There's More Than One Way To Do It) プログラミングの「自由度」を最大化させる。 Ruby: プログラミングの「楽しさ」を最大化させる。 自由度が高いからといって楽しくなるとは限らない 楽しければ自由度が低くてもいい →より適切な自由度を設定 プログラマを「改造(洗脳)」する 使っているうちに洗脳→まさにBabel-17! :-) ・オブジェクト指向と「Babel-17」 キッチンシンクアプローチとオブジェクト指向アプローチ オブジェクト指向アプローチは、伝播力を最大化する 適度な制限を加えるため、指向性を減衰させない ・洗脳の手法 ・親しみやすい接触 ・既存概念の破壊:洗脳の下地を作る ・急速な洗脳 ・洗脳の強化 ・思想の伝播の例 ・グローバル変数 「$を使うと負け、という気になる」 ・インスタンス変数 Javaでは「定石」、Rubyでは「文法化」されている。
_ を行う予定だったのが、新婦が倒れたため、 急拠お誕生日おめでとう宴会になる。だいじょうぶだったんでしょうか (いちおう大丈夫だったらしい)。
_ 某迎撃な宴会?と創元推理倶楽部東京分科会をさぼって、 DASACONの企画会議に行く。 驚くほどに話が進んでしまう。
_ その後の飲み会で、溝口さんに衝撃の事実を明かされる。大ショック。 そ、そんなことがあっていいのだろうか。いや、いいんですけど(汗;
_ しかし、他のひとには私の衝撃を受けてる様子がおもしろかったらしい……。 つうか、 そんなに悔しがらなくても (^^; まあ、自分では見れないからどうだったか分からなかったり(当たり前)。
_ そう言えば話題に上がった、 百億の萌えと千億の萎え な日記ページはここです。
_ しかしなんでそんな話題になったのかは忘却の彼方。
_ そういえば、谷山浩子の聖地こと「ガラストマト」があるのは、 旗の台ではなく尾山台でした(汗; 失礼しました(_o_)
_ 『虚無回廊』は見かけた瞬間声がでてしまった。買わざるをえない、 と思ってしまうところが弱い。
_ については、実はぜんぜん思い入れがない。が、つい買ってしまう。
_ 思い入れがないのは、まとまった形で読んだことがないからだ。 『幻想文学』に掲載されたもののいくつかは読んだことがあるが、 短すぎてどう評価したものか悩んでしまっただけだった。
_ ただ「何にも頼らないところ」に目をみはったのはおぼえている。 事実や伝承に頼るものはあまり好きではないので。それと、 硬質だが平明な言葉と。華美を衒うものもあまり好きではないので。
_ プログラミング関係の洋書を探して見つけた本。
_ ヴィクトリア女王の統治下にあった19世紀、 すでにインターネットがあった。 それはビジネスを変え、 ネット越しの恋愛を産み、暗号が作られてはクラックされていた。 ……という話だけを聞けばスチームパンクなSFのように 聞こえるが、なんとSFではなくノンフィクションだったりする。 インターネットと言っても、TCP/IPによるネットワークではなく、 電信によるネットワークなのだ。
_ 目のつけどころが素晴しすぎ。後ろにモースのコードが書かれて いたのも、ASCIIが電信のコードを元にしたものだというのを思い出 させる。あのヴィント・サーフも激賞("I was simply fascinated by this book."だそうな)なのもポイント高し。 洋書はほとんど読んだことがないのが気掛りだったが、 異様に読みやすい英文だったのでとりあえず買って読んでみることにする。
_ そういえば書き忘れていたのですが、 甲影会は 8/11[金]西館 ち-02bです。金曜日なんで来にくい方も 多い(というか福井良昌さんも広沢さんも来られないらしい) ようですが、ご都合のつく方はぜひいらしてくださいませ。
_ 螢屋さんの日記 から。ああっと、話題にしたのはタイトルの方です。や、いまSFなひとたち の間ではキャラ萌えが流行ってるらしくて、みんな萌え萌えでたいへん なんです(嘘)。
_ そろそろ原稿が揃ったのでまとめるです>関係者各位
_ そのミステリとSFの比較話 の場には私もいたような気がするのですが。
_ だがしかし、ミステリはミステリで困難を抱えている。 とりわけ本格ミステリは、 物語を進める推進力を内在している代わりに、人の心を揺り 動かす、すなわち感動させる力に欠けてしまいがちである。 もちろん感動的なミステリはあるが、それはミステリの推進力としての 「謎と解決」とは独立な方向性しか持ち難い。 「本格としてはちょっと」、という話にしかならない。
_ つまり、「本格としての面白さ」への力としては、物語の推進力は 役に立たない。
_ 「探偵小説は手品文學である(にすぎない)」という乱歩の指摘(『探偵問答』とか)が重い。
_ 林哲矢さんの執筆者紹介はなんだかいい感じでした。
_ のライブに行ってきた。やはり片桐は魂のふるさと(の一つ)であることを実感する。 『最後のランナー』には震えた。
_ 『最後のランナー』は、一言で言えば「努力は天性にかなわない」、という 歌だ。ドラマ仕立てで強烈なオチがつく、という救いようのない構成が読み手、 じゃなくて聴き手の心をえぐる。
_ というわけで麻美さん情報、というかメモ。
_ 今年の全曲ライブは10時間くらいだとか……。休憩も含めると、やっぱり 朝の9時とか10時とかから夜中までだよなあ……。まあ、仕事がなければ 行きますが。
_ とあるPlan 9 を使った方の感想:
From: Hiroki Tamakoshi <hiroki-t@is.aist-nara.ac.jp> Newsgroups: fj.comp.misc,fj.comp.security,fj.os.plan9,fj.os.linux Subject: Re: avoid super user privilege (LIDS vs Plan9) Message-ID: <lzok8ffl87u.fsf@migi.aist-nara.ac.jp> > 3, 4 日使っただけですが、もう UNIX でプログラムしたくありません。馬鹿 > 馬鹿しい。
_ UNIXでプログラムすることが馬鹿馬鹿しくなるOS、というのは異様に興味がある。
_ 昔、どうして「選挙の投票に行くこと」が重要なのかが分からなかった。 何せ一人が投票できるのは一票しかない。そしてたいていの選挙は、 結果的に数票の差では逆転できない。ということは、わたしが投票しても しなくても、何も変わらないのではないだろうか。つまり、 わたしにとって、投票に行く事にはまったく意味がないのでは?
_ こんなことをずっと考えていたのだが、ある時疑問は氷解した。 どうも選挙というのは投票するものではなく、投票させるものらしいのだった。
_ 1票投票したところで、それは選挙にとってほとんど意味がない。 しかし、10人の人間をうまく束ねて誰か特定の人に投票させられれば、 それは10票になる。もっとうまく束ねられれば100票くらいにも なるかもしれない。さらに様々な団体などと利害の調整をすれば、数千、 数万の単位で票を動かすことも可能になるかもしれない。それはまさに 政治に参加している、ということに他ならない。
_ そういう意味では、「政治に積極的に参加する」ということが正しいとすれば、 例えば創価学会のやっていることはとても正しいことなのだろう (でもやり方が杜撰すぎるようだが)。
_ というわけで、やはり投票したくらいで政治に参加しているという 意識を持つのは単なる気の迷いだと思う。
_ 本も同様だ(いきなり話が変わる)。ある本をさらに1000冊売るには どうすればよいか。自分が1冊買っただけでは、その影響は正確に1/1000の 力しかない。あなたの買った一冊だけでは、その作家を買い支えること など絶対にできない。そのような行為は、ふつう自己満足と呼ばれている。
_ 金が余っているなら自分で1000冊買えばいいのだが、それはちょっと (いや、かなり)辛い。ということであれば、 他のひとに1000冊買わせるしかない。しかし普通は1000人の人間に同じ 本を買わせる、なんてことはできない。ではどうするか。
_ 自分一人で1000人の人間を動かせないなら、「100人を動かすことができるひと」を 10人探して、そのひとたちに「100人のひとに届く言葉」を駆使してもらえば よい。そんなひとを10人も知らないのであれば、「100人を動かすことができるひと」 がどこかに10人いるとして、「その10人を動かすことができるひと」を1人 探して、そのひとを口説くことだ。彼または彼女がその気になれば、 1000冊の本が売れる。……という説明は分かりにくいか。みゅ。
_ もちろん、それが分かっていても、実践できるかどうかはまた話が別なのだが。