ただ、風のために。5 (2002/March)

遠い記憶
1999 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]
2000 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]
2001 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]
2002 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]

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2002/03/12 (Tue)

リアルのゆくえ

市川@錦通信さんの3月10日の日記 Side-Cは、 wadさんのクレしん オトナ帝国評を思い起こさせます。 二人の違いは、市川さんはまだ自分のよって立つ位置が広く受け入れられている ものだという確信がある一方、wadさんはもはやその立ち位置が 少数者のものになってしまったという確信があるところですね。

私は市川さんのいう「アラ」が「アラ」として理解されなくなりつつある、 つまり市川さんがwadさん的位置に追い込められるんじゃないかと思っています。 どうなんでしょう。

なお、私もそういうアラが気にならない方です。新井素子読みですから。


2002/03/13 (Wed)

終わったはず。

気分はもうトーマス・マン『悩みのひととき』。

というわけで、次。

Which Technologies Matter?

Tim Bray(XMLのえらいひと)のWhich Technologies Matter?

重要な技術とそうでない技術とを並べ、それぞれの 特徴をいろんな視点から比較しながら、重要な技術になるかどうかを どうすれば予想できるかどうかを考えています。

せきゅりてぃ

大森伝言板で、セキュリティのことについて論じている ひとはだいじょうぶなんでしょうか?

三鷹さんはともかく、それにツッコミを入れている人も脇が 甘そうでちょっと心配。ちゃんとデータと対照比較ときっちりとした 用語で論じないと。

ルーディ・ラッカー

すべてはひとつ:Rudy Rucker ファンサイト。 なんと『ソフトウェア』以外全部品切れらしい(あとは工作舎の本が)。まじですか。


2002/03/16 (Sat)

3つの評価軸

「リアルのゆくえ」の続き。市川@錦通信さんの 3月13日と14日のSide-Cとはあんまり関係ないかも。

だいたいこの手の総論的な話というのは乱歩の時代に尽きている はずなので、『幻影城』でも繙いてみましょう。

乱歩は『探偵小説純文學論を評す』の中で、探偵小説論を 4つに分類しています。

「風俗小説」は今風に言えば「エンターテインメント小説」に なるでしょうか。「文学的本格論」というのは若干意味不明かもしれませんが、 要するに本格+純文学です。でも、「本格」というのは、極論すれば ゲーム+エンターテインメント小説、という感じもします(この場合の 「ゲーム」は、作者vs読者というゲームとして考えるよりは、よくできた パズルに近いでしょう)。つまり、純文学+エンターテインメント +パズル、という全ての価値を兼ね備えたもの、というわけです。 そりゃあハードルも高くなるわけです。……というのは別の話なので 置いておいて、以上をまとめると、3つの評価軸を打ち出すことが できます。

さて、ミステリにおける「アラ」とは、 上の分類のどの視点からの「アラ」になるのでしょうか?

まずは純文学的な視点から考えてみましょう。……という前に、 そもそもふつうのミステリが純文学的なアラを云々できるのか? という問題があります。そこを考えるための一例として、 倉橋由美子『あたりまえのこと』(ISBN:4-02-257679-0) を読んでおくのはいいかもしれません。 この本の中では乃南アサがぼこぼこにけなされていて、乃南 ファンではない私でもちょっと切なくなるほどなのですが、 この評価は何も乃南アサに限ったことではないでしょう。 ここで倉橋さんが提示している水準は たいていの本格ミステリがクリアできてないような気もします。

まあでも、ミステリは純文学じゃないよね、と開き直って、 エンターテインメントとして考えてみます。……が、ここでも 問題が。エンターテインメントは読者をもてなすことに主眼を 置くべきもののはずで、そうすると評価は決めるのは他でもない 読者になります。とすれば、「アラに気づかない読者」が 多数を占めてしまえば、それはもはや「アラ」ではなくなって しまうわけです。少なくともエンターテインメントとしては。

しかし、それもどうかと思うわけで、最後の「ゲーム」または「パズル」 としての視点から評価してみることになるわけですが、そこまで 絞ってしまうと、つまりはパズル好きの作者がパズル好きの読者を 相手にしているだけのもの、ということになってしまいます。 つまり、アラかどうかも、双方がジャンル読者・作者でなければ 成り立たないようになってしまいます。うーん。


2002/03/17 (Sun)

森万里子 ピュアランド展

のぞみに「ぜひ行ってこい」と言われたので、東京都現代美術館で やっている「森万里子 ピュアランド展」を観てきました。

……が、肝心の「ドリーム・テンプル」は観れずじまい(;_;)。 いちおう開館前には現地に着いたのですが、すでに列ができていて、 私のはるか前で締切られてしまいましたとさ。むう。 でもまあせっかく来たのでということで、「fiction?」という 企画も合わせて、二つ観てきたのでした。

さて、「ドリーム・テンプル」以外の展示について。 コスプレ写真や「リンク・オブ・ザ・ムーン」(巫女の祈り)の方は ちょっとイタいというか、正直やばい感じがしたのですが、 一通りみてみると、なんというか、あの空虚さ加減と テクノロジーの合わせ技が、望もうと望むまいとにかかわらず 「日本」的なモノになってしまっているのかも、と 思ってしまいました。ちょっといやーんな感じ。 それと、ドリーム・テンプルの外観を見た時には、思わず 笑ってしまいました。なんというか、「ここまでやるかー」的な ばかばかしさが、逆に気持ちよい感じで。

ついでに一階の本屋にあったBTのバックナンバーも読んでみました。 と、ここでドリーム・テンプルのスペックが判明。 CGに関しては、どうも Onyx2を使ってたようですね。 製品ファミリのどれなのかは 不明なのですが、画像は1024x768ということなんで、 一番下のやつなんでしょうか。……うーん、今の目で 見ると、そんなにすごくもないような。 ポリゴンの描画能力なら ゲームキューブ並みですか。 画像生成用のライブラリは、 OpenGLをドーム状の画面に写し出すために手を入れたDomeGLという ものを使っているそうです。この辺はAlternate Realities Corporation というところが担当したようですが、ちょっとWebをさまよってみたら こんなものが。これを使っているのかもしれません。

評価軸補足

あー、寝られなくさせてしまってすみません(1.10279(2002/03/17))

補足しておくと、3つ目はより一般には「ジャンル小説」とした方が いいかもしれません。何かジャンル特有の視点があって、作者と読者が その視点を共有している、という状況ですね。

ただ、それを言ったら「(純)文学も一つのジャンルでは?」という 話になりそうですが、それについてはパスします(_o_)





written by TAKAHASHI 'Maki' Masayoshi (maki@rubycolor.org)
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