市川@錦通信さんの3月10日の日記 Side-Cは、 wadさんのクレしん オトナ帝国評を思い起こさせます。 二人の違いは、市川さんはまだ自分のよって立つ位置が広く受け入れられている ものだという確信がある一方、wadさんはもはやその立ち位置が 少数者のものになってしまったという確信があるところですね。
私は市川さんのいう「アラ」が「アラ」として理解されなくなりつつある、 つまり市川さんがwadさん的位置に追い込められるんじゃないかと思っています。 どうなんでしょう。
なお、私もそういうアラが気にならない方です。新井素子読みですから。
気分はもうトーマス・マン『悩みのひととき』。
というわけで、次。
Tim Bray(XMLのえらいひと)のWhich Technologies Matter?。
重要な技術とそうでない技術とを並べ、それぞれの 特徴をいろんな視点から比較しながら、重要な技術になるかどうかを どうすれば予想できるかどうかを考えています。
大森伝言板で、セキュリティのことについて論じている ひとはだいじょうぶなんでしょうか?
三鷹さんはともかく、それにツッコミを入れている人も脇が 甘そうでちょっと心配。ちゃんとデータと対照比較ときっちりとした 用語で論じないと。
すべてはひとつ:Rudy Rucker ファンサイト。 なんと『ソフトウェア』以外全部品切れらしい(あとは工作舎の本が)。まじですか。
「リアルのゆくえ」の続き。市川@錦通信さんの 3月13日と14日のSide-Cとはあんまり関係ないかも。
だいたいこの手の総論的な話というのは乱歩の時代に尽きている はずなので、『幻影城』でも繙いてみましょう。
乱歩は『探偵小説純文學論を評す』の中で、探偵小説論を 4つに分類しています。
「風俗小説」は今風に言えば「エンターテインメント小説」に なるでしょうか。「文学的本格論」というのは若干意味不明かもしれませんが、 要するに本格+純文学です。でも、「本格」というのは、極論すれば ゲーム+エンターテインメント小説、という感じもします(この場合の 「ゲーム」は、作者vs読者というゲームとして考えるよりは、よくできた パズルに近いでしょう)。つまり、純文学+エンターテインメント +パズル、という全ての価値を兼ね備えたもの、というわけです。 そりゃあハードルも高くなるわけです。……というのは別の話なので 置いておいて、以上をまとめると、3つの評価軸を打ち出すことが できます。
さて、ミステリにおける「アラ」とは、 上の分類のどの視点からの「アラ」になるのでしょうか?
まずは純文学的な視点から考えてみましょう。……という前に、 そもそもふつうのミステリが純文学的なアラを云々できるのか? という問題があります。そこを考えるための一例として、 倉橋由美子『あたりまえのこと』(ISBN:4-02-257679-0) を読んでおくのはいいかもしれません。 この本の中では乃南アサがぼこぼこにけなされていて、乃南 ファンではない私でもちょっと切なくなるほどなのですが、 この評価は何も乃南アサに限ったことではないでしょう。 ここで倉橋さんが提示している水準は たいていの本格ミステリがクリアできてないような気もします。
まあでも、ミステリは純文学じゃないよね、と開き直って、 エンターテインメントとして考えてみます。……が、ここでも 問題が。エンターテインメントは読者をもてなすことに主眼を 置くべきもののはずで、そうすると評価は決めるのは他でもない 読者になります。とすれば、「アラに気づかない読者」が 多数を占めてしまえば、それはもはや「アラ」ではなくなって しまうわけです。少なくともエンターテインメントとしては。
しかし、それもどうかと思うわけで、最後の「ゲーム」または「パズル」 としての視点から評価してみることになるわけですが、そこまで 絞ってしまうと、つまりはパズル好きの作者がパズル好きの読者を 相手にしているだけのもの、ということになってしまいます。 つまり、アラかどうかも、双方がジャンル読者・作者でなければ 成り立たないようになってしまいます。うーん。
のぞみに「ぜひ行ってこい」と言われたので、東京都現代美術館で やっている「森万里子 ピュアランド展」を観てきました。
……が、肝心の「ドリーム・テンプル」は観れずじまい(;_;)。 いちおう開館前には現地に着いたのですが、すでに列ができていて、 私のはるか前で締切られてしまいましたとさ。むう。 でもまあせっかく来たのでということで、「fiction?」という 企画も合わせて、二つ観てきたのでした。
さて、「ドリーム・テンプル」以外の展示について。 コスプレ写真や「リンク・オブ・ザ・ムーン」(巫女の祈り)の方は ちょっとイタいというか、正直やばい感じがしたのですが、 一通りみてみると、なんというか、あの空虚さ加減と テクノロジーの合わせ技が、望もうと望むまいとにかかわらず 「日本」的なモノになってしまっているのかも、と 思ってしまいました。ちょっといやーんな感じ。 それと、ドリーム・テンプルの外観を見た時には、思わず 笑ってしまいました。なんというか、「ここまでやるかー」的な ばかばかしさが、逆に気持ちよい感じで。
ついでに一階の本屋にあったBTのバックナンバーも読んでみました。 と、ここでドリーム・テンプルのスペックが判明。 CGに関しては、どうも Onyx2を使ってたようですね。 製品ファミリのどれなのかは 不明なのですが、画像は1024x768ということなんで、 一番下のやつなんでしょうか。……うーん、今の目で 見ると、そんなにすごくもないような。 ポリゴンの描画能力なら ゲームキューブ並みですか。 画像生成用のライブラリは、 OpenGLをドーム状の画面に写し出すために手を入れたDomeGLという ものを使っているそうです。この辺はAlternate Realities Corporation というところが担当したようですが、ちょっとWebをさまよってみたら こんなものが。これを使っているのかもしれません。
あー、寝られなくさせてしまってすみません(1.10279(2002/03/17))。
補足しておくと、3つ目はより一般には「ジャンル小説」とした方が いいかもしれません。何かジャンル特有の視点があって、作者と読者が その視点を共有している、という状況ですね。
ただ、それを言ったら「(純)文学も一つのジャンルでは?」という 話になりそうですが、それについてはパスします(_o_)