この前からさらに状況は変わってきています。
詳しくはセキュリティホールmemoの2002.06.19とか。
なぜかSchemeの実装を調べています。
Schemeのデータ構造の基本はConsセルなんで、 どうやって実装してるかなと思ったんですが、
+------+------------------+-------------------+ | tag | car (pointer) | cdr (pointer) | +------+------------------+-------------------+
とするのがお約束っぽいですね。
ですが、 Gaucheは、
/* TAG STRUCTURE * * [Pointer] * -------- -------- -------- ------00 * Points to cell (4-byte aligned) * * [Fixnum] * -------- -------- -------- ------01 * 30-bit signed integer * * [Character] * -------- -------- -------- -----010 * 29-bit * * [Miscellaneous] * -------- -------- -------- ----0110 * #f, #t, '(), eof-object, undefined * * [VM Instructions] * -------- -------- -------- ----1110 * Only appears in a compiled code. */
となっているようです(gauche.h)。 つまり、
4byte +------------------+ | (pointer) 00|---+ tag + pointer to cell(4byte aligned) +------------------+ | +--------------------+ | V +------------+---------------+---------------+---------------------+ | SCM_HEADER | car (pointer) | cdr (pointer) | attribute (pointer) | cons cell +------------+---------------+---------------+---------------------+ 4byte 4byte 4byte 4byte
といったところですか。SCM_HEADERはオブジェクト(この場合cons cell)の クラスを表す情報(構造体)へのポインタです。
なんとなくConsセルに「媚びてない」感があります。かっこいいですね。
やまちゃんさんの岡村孝子さんの楽曲分析。たいへん面白いですね。 ファンでなくても一読の価値があると思います。
やっぱり「分析」はあくまで「好み」を補完するものであって、 逆ではないんですね (「歌は上手という訳じゃない。ピアノの弾き方もすごい。踊りもぎこちない。曲は全部ワンパターン。そんな孝子さんですが私は大好きです。」 という言葉がありますが、すげー納得してしまいます……)。
で、そこから辿っていった岡村孝子 official homepageによれば、 今度DVDつきベスト『DO MY BEST』の発売と6年ぶりのツアーがががっ。 これは買ってしまいそう&行ってしまいそうな予感……。
なお、岡村孝子さんに関しては、初期のミもフタもない歌詞が 好きだったので、「Kiss」辺りでついていけなくなり、それ以降は よく知りません。 でも、機会があったら聴いてみたいとは思っています。
↓初期の特徴的な詞の数々。
「ついてないね だけどそれも生まれつきだわ
仕方ないとあきらめて笑うしかない」(『ついてない』)
「生きていたくない悲しい時にもあきれてしまうほど
笑ってみせてる私を許せないほど憎んで」(『私はここにいる』)
「心配なんてずっとしないで
似てる誰かを愛せるから」(『夢をあきらめないで』)
そうそう、なんでいきなり岡村孝子さんの話かというと、 さかいさんの「ヒビルテ」という名前から「リベルテ」を思い出したからでした。
そのヒビルテで話題になっている viの話。 私の場合、プログラミングにはviは使いませんが、 さすがにrootでemacsは使いません :-) viがないとサーバ管理はできないですねえ。 でも、一度だけ、リモートのマシンの設定を変更する時、 ネットワークが死ぬほど遅くてviがまともに使えず、 edで頑張ったことがあります。
それと、のださんのところの02/06/21ですが、 それは「エレベーター」ではなくて「エスカレーター」 だと思います……。
あー、はい、見てますよ〜。
というか、御自愛くださいませ。
ひょっとして、非プログラミングな人向けの、まつもとさんと その他Rubyに関わっている人を書いたノンフィクション読み物、 なんかを出すと、Rubyそのものやフリーソフトウェア・オープンソースの 啓蒙に役立つんでしょうか。
あと、この手の啓蒙本としては、 よしだともこさん(『ルート訪問』)・ 遠藤諭さん(『計算機屋かく語りき』)らの仕事もありますが (竹内郁雄さんの『AI奇想曲』もそんな本だったっけ?)、 どうも「インタビュー集」になりがちに思います。それはそれで 開発者や管理者の生の声が聞けてうれしくはありますが、 事実の列挙ではなく何らかの「史観」(というほど大げさでなくてもいいけど)の もとにまとめた文章も欲しいところです。
風野さん(6月22日(土))より、 AppleなのにSolaris。Sun恐るべし(<違います)。
……って、「読冊日記」って古い日記には残らない文章もあるんでしょうか?
ruby関連MLのメールもいまいち届いていないような……(;_;)
クヌースの「The Art of Computer Programming」の 第2巻(原著では第1巻の後半)『基本算法/情報構造』を買ってしまいました。
学生の頃に読んだときは、謎アセンブラと「算譜」「作譜」「棚」 「両頭列」などの異様な述語に挫折したのですが、今新たに読むと 実に感動的な本ですね。類書がニセモノに見えてきます。
しかし、第1巻の『基本算法 基礎概念』は品切れ重版未定なのです。 なんということでしょう。……って、原書が改訂されているから なんでしょうか。それならそれで改訂版を出すべきですね。 さっさと訳していただきたいものです。
また、算譜語(と勝手に読んでみる)も、慣れるとそれなりに いいものもありそうです。「なぞり(traverse)」とか。 「料(data)」とか「絡(List)」は何て読むのかも不明ですけど。
というわけで小ネタ。どこかで誰かがやっていそうなネタですが。
= 日本語絡処理作譜言語「枠」 「枠」は、日本語に対応した、簡素且つ強力な絡処理作譜言語です。 静的な変数領域や末尾再帰、継続を持つ絡処理作譜言語の一種で、 電気電子学会標準一一七八「枠作譜言語の為の電気電子学会標準」や 「算法言語枠に関する再再再再改訂報告書」にほぼ準拠しています。 ==「枠」を用いた算譜例: (定義 (階乗 甲) (条件 (等価 甲 #十進一) 甲 (乗算 甲 (階乗 (減少 甲)))))
ま、こんなのもマクロ(って算譜語で何て言うんだろう……)で 作れそうなのが絡処理作譜言語のすごいところですが。
あづみさんのところからリンク。 どうウケたのかも気になりますが、それよりも 「ソレ系」が何なのかの方が、もっと気になります :-) 「ダメ系」ではないと思いますけど。
さらに リンク元ページですが、乾くるみは男だというもっぱらの噂です……。 ていうか、あの女子高の描写を女が書いていたらちとショックです。
なぜかメフィスト関連ネタスレで小松由加子の話が。
斎藤美奈子さんの新刊『文壇アイドル論』を本屋で見かけました。 吉本ばななの章で「吉本ばななはコバルトだった」みたいな ことを書いていたようです。基本的には「鳩よ!」のL文学特集と 同じスタンスですね。
……でも、彼女の「コバルト」の取り挙げ方って、何かひっかかる ところがあります。X文庫とあんまり切り分けられていなかったり (いや、もちろん書いてる本人は違いがあることくらい知ってるんでしょうけど、 例えば 横川寿美子さんの評論ではその違いと変遷がもっと丁寧に扱われています)、 コバルトの例として新井素子を無造作に持ってきたり (確かに彼女はコバルトの「代表的な作家」ではありますが、 「典型的な作家」かどうかは異論があるところだと思います)。
また、吉本ばななとコバルトの親和性について、文芸批評において 語られたことがなかったかのように書かれていますが、高橋源一郎 『文学じゃないかもしれない症候群』所収の『ラカンのぬいぐるみ』 では、新井素子に端を発する「少女小説」の流れを汲むものの一つとして、 吉本ばななについて触れています。「鳩よ!」の53ページで、斎藤さんは 「浅田彰さんとか高橋源一郎さんとか少女マンガとの関連性について ずいぶん言っていたでしょう。彼らは少女マンガは読んだだろう けど、でも少女小説は読んでたかというと、あやしい。」と語っていますが、 『ラカンのぬいぐるみ』では花井愛子、折原みと、倉橋耀子の名前が あげられている上、花井愛子の小説の引用までしています。
結局のところ、彼女にとって、コバルトや新井素子はさして重要なものでは ないのでしょう。あ、もちろん、それが悪い、ということではないですし、 それによって彼女の仕事の評価が大きく下がるということでもありません。
……うーん。
『ラカンのぬいぐるみ』は、非常に優れた新井素子論なのですが、 少女小説的文体の見取図としても鮮かです。正直、新井素子について ジャンルプロパー以外が書いた物として、これ以上のものを知りません (私が知らないだけかも……)。
さてその「鳩よ!」L文学特集では、米光一成さんがコバルトについて 書いています。この中に、
「あたし、広瀬千秋という。十九歳の女の子」
という書き出しに象徴される新井素子が開発した「あたし」を(以下略)
という一節があります。が、そこで引用されている「自己紹介」は、 「文章の冒頭」という意味での「書き出し」ではないんですが……。
新井素子は、ほとんどの場合、最初のシーンではキャラクターは 自己紹介しません。『いつか猫になる日まで』しかり、 『ナイト・フォーク』しかり、『扉を開けて』しかり。なお、 デビュー作『あたしの中の……』では、主人公が記憶喪失なので 自己紹介ができません(^^;
また、コバルト以外の作品では、自己紹介はあったりなかったり します。『ひとめあなたに……』はなし、『……絶句』はあり、 『ラビリンス』や『ディアナ・ディア・ディアス』はなし、 『二分割幽霊綺譚』はあり。『くますけと一緒に』以降の作品には もうなくなっているようです。……そうか、基本的に一人称の場合のみ、ですね。
……あー、以下、新井素子についていろいろ書いては消し、 消しては書きしたのですが、やっぱりうまく書けないので やめときます。すみません。
藤井さんのfloating voice(2002-06-30(日))からリンク。 そうでしたか。そういえば吉本ばななと村上龍あたりには好意的 なんでしたっけ、『夢見る頃を過ぎても』は。あの頃は 「(爆)」なひとじゃなかったっけ……(遠い目)。
『夢見る頃を過ぎても』は連載時に時々読んでました。 JUNEな人にはやさしいのに、純文な人には冷たいところに 欺瞞的なものを感じていた嫌だったという記憶があります。
一応フォローをしておくと、 斎藤美奈子さんの目論見は基本的に「文壇」を批判・揶揄することにあるので、 一般的には吉本ばななとコバルトが並置されるのが当たり前、 特に目新しいことじゃないとしても、文芸批評の場などでそのような 論を展開する人がいなければ、論旨に問題はないのでしょう。 むしろ「だから「文壇」はヘンなんです」という主張を補強することに なりそうです(でも『夢見る頃を過ぎても』は文芸誌の連載だよなあ……)。
なお、昨日の私の文章がねじくれてるのは、コバルトや少女小説が 単に「文壇」をけなすための道具として扱われているように 感じられたせいでしょう。そこには今に続くコバルトやその他の 少女小説を、ほめるにせよけなすにせよ評価しようという姿勢が見えませんでした。 もちろん、彼女にはそのようなことをする義務は何もないわけで、 そのようなことを期待する方がお門違いですよね。 ……というのがねじくれる原因なわけで。
ところで、『つぐみ』でも『TUGUMI』でもなく『TSUGUMI』だと 思い込んでました。微妙にショックだ。
吉田@HZさんのところからリンク。ま、あくまで「噂」なんで、 話半分にしておいてください。ひょっとしたらどこかの女性が書いた ものかも……ということはないと信じたいです。はい。