ただ、風のために。4 (2000/January)

遠い記憶
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2000/1/1 (土)

■ 新年

_ あけましておめでとうございませましたー。

_ 本年も MYSCONDASACON 3ミステリー大賞謎宮会などなど、 いろいろあります(予定)ので、みなさまよろしくお願いいたします。

■ 年賀状

_ がいろいろと届く。高校以来の友人に子供ができたことを知る。そっかー、 元気なのね。とりあえず帰省した時に遊びに行きたいものです。余市なので ちと遠いのが難ですが。

_ それにしても去年は親しい人の結婚・出産が多かったのだな、と 年賀状を見て思う。

■ 『時があなたを変えたわけじゃない、

_ たぶん、はじめからひとりだっただけ。』

_ ……谷山浩子「夢の歯車」より。正月早々こんな曲を聴いてていいの だろうか。って、「ドッペル玄関」を聴けばいい、というものでも ありません。

■ 今年の目標

_ 書き物をさっさと仕上げる。

_ コードも書く。

_ ……山積みだなあ。


2000/1/2 (日)

■ 体調

_ 咳が出る。どうやら風邪らしい。まずい。

_ そういえば、「ごじら、ごじら、ごじらとめかごじら」と並び、 「のーどいーたいー それにせきもでるー」という、異様に不安定な 音程の歌が「坂本龍一のサウンドストリート」で かかっていたような気がする。某高校の 地研ではこの歌が一時期爆発的に流行り、先輩がいつも歌っていた。 なつかしい。

■ 電話

_ のぞみーから電話。年末からN.Y.に帰省していて、18日まで いるそう。パリの話をいろいろ聞く。時間がゆっくりで、みんな あまり仕事してないらしい。ちょっとうらやましい感じもする。

■ 読書

_ 「順列都市」(イーガン)、読了。「宇宙消失」よりは読みやすかったのだが、 後半はいまいち盛り上がりに欠けたような気がする。なぜだろう。どうも 塵理論との相性が悪かったせいだろうか。

_ 続いて、「蒼白の黒体輻射」(野尻抱介)を読む。
感想:イーガンが「90年代最高のSF作家」ならば、 野尻抱介は「2000年代最高のSF作家」と呼ばれてもおかしくないだろう。 英訳する計画などはあるのだろうか。

■ 日記

_ 前から 織さんの日記をリンクしようかと思っているのだが、URI固定ではない ので断念している。

_ 市川さんの日記 (1/1〜1/2)の謎は、「はたして電気は切れたのか切れてないのか」だろう。 電気が切れていないのに「ヘッドライトや室内灯の光が有り難い」というのは ちょっと変だし、電気が切れたのに日記が更新されているのも変だ。 それに比べると、曜日がずれているのは小ネタのたぐいに見える。 というわけで、この辺についても被害状況の説明をお願いしたいところです。

_ いい加減に観念して、 「ミステリ系更新されてますリンク」 にこの日記と 「謎宮会」 を追加する。

■ 取得

_ 細井さんの 更新時刻情報 で「届かない……」になっている日記は、 くろっくはちさんの たんぽぽひとりごと。 で更新時刻が分かるような気がします。


2000/1/4 (火)

■ 昨日は

_ 風邪で終日寝てました。

■ 今日は

_ 風邪をおして出社。明日が心配。

■ 日記関連

_ みのうらさん のところから、 ABCさんの日記(1/2) へ。新井素子批判、というより、新井素子のだめな取り巻き批判、と いうべきか。

_ 正直、最初は「なんか違う……」という感触しか得られなかったの だが、なんとなく分かるような気もする。そういう人たちも いてもおかしくないのだろう。そういう人よりもコバルトな新井素子 読みの方がずっとましだよな、とか思ったりする。 この前挙げた「阪神が、勝ってしまった。」の解説も、 「新井素子という作家は一般に信じられているよりもずっとSF作家である。」 という言葉から始まっている。これを読んで、「『一般』の連中は分かって ねーなー」と思ったのを覚えているが、それと同じような気持ちだ。

_ にしても、新井素子に関しては、肯定的な評よりも否定的な評の 方が読み応えのあるものが多いような気がするのは なんとかならないものだろうか(;_;)

_ 市川さんの日記では、曜日が直っている……(汗; そうか、ノートを お持ちだったんですね(^^; HP-200LX並みにバッテリーが長持ちすることを 祈っています。……って、なんでそんなときにブックオフが営業している のだろう。不思議な街だ。てなことを書いてもご本人がしばらく読めない のは残念である。

■ 読書

_ 東直己「流れる砂」を読んでいる。決して楽しい話ではない(畝原の シリーズはススキノ探偵シリーズとは全然違うのだ)が、 今のところ素晴らしいとしかいいようがない出来(現在200ページちょっと)。 どこかで話題にはならなかったのだろうか。

_ 「東直己」で検索をかけてみる。 こんなところがひっかかった。これは、 北海道日報(通称『北日』)、ではなくて北海道新聞(通称『道新』)の ページ。東直己とはあんまり関係がない。 同じビルに「スナックや焼き鳥屋から、ピンクサロンまで一緒に入っている」 のが驚きであることは、大学を卒業するころくらいまでは 実は知らなかった。どうやら内地ではそういうのはあまりないらしい (という認識でいいんですよね?<自信なし)。

_ ついでに こんなページ も見つける。非常に困難だと思わないのでもないのだが、 頑張ってほしい。

_ で、東直己だが、「流れる砂」に触れているページは残念ながら見つからなかった。 ざっと見つけたのは以下の通り。


2000/1/5 (水)

■ 東直己礼賛

_ 東直己「流れる砂」読了。

_ 期待には若干劣るかもしれない(ラストに何かすごい展開があることを 期待していたので。「渇き」のラストのあれには心底驚かされたし)が、 やはり面白かった。 地方都市の雰囲気、独特の味のあるキャラクター、現実世界とスムーズに 結びついているようにみえるという意味でのリアリティ、へらず口を たたかない主人公、離婚はしたが子供は男手一つで育てている、といった 設定の面白さ(ネタとかは多少使い回しの気があるかも)。 様々な魅力に溢れている、良質のハードボイルドだと思う。

_ 安っぽい感傷や、無駄なへらず口や、嘘くさい巨悪や、 変に派手なアクションなどはもういらない、 という方にはぜひ勧めたい。ただ、どうしてもシリーズを 追って読んでほしい(そうでなければ「流れる砂」で揺さぶられるものが 半減しかねない)ので、「待っていた女・渇き」(ハルキ文庫)から続けて 読んでほしい。特に「渇き」は、分量もストーリーも短いが、闇は深い。 また、読後感も良くない(特に小さな女の子の親も読まないほうが いいかもしれない)。楽しめる話ではないからだ。別に何か飛び抜けて 悲惨だったりするわけではない。普通に陰惨なだけだ。

_ # それにしても主人公の兄貴よ(;_;)。

■ 本格技術論関連

_ 福井さんの ところから多くの方がリンクをたどってくるのに ややびびる(呼称が多いのはどうもすみません)。 そこまで言われるとさすがにプレッシャーが……。いや、評論というより データと註釈程度というつもりだったのですが。 ていうか、12月下旬の日記のリンクが壊れているようなので ご確認くださいませ>福井さん

■ 新井素子関連

_ みのうらさん(1月4日) の日記を読む。

_ とりあえず新井素子のデビュー前後では コバルトの審査員は関係ないのでは。というか、あの当時だと まだコバルトの賞はなかったはずなので。

_ 手元にCobalt1983年秋号があるが、ここでは第2回(83年度下期)の コバルト・ノベル大賞最終選考が掲載されている。このときの 審査員は赤川次郎、阿木耀子、阿刀田高、眉村卓。この雑誌に (賞とは関係なく)掲載されているのが、 新井素子「山手線のあいちゃん」、氷室冴子 「蕨ヶ丘物語=純情一途恋愛編=」。 大原まり子も「人生はババ抜きゲーム」で書いている。ベテランは 光瀬龍「日光写真いりませんか」眉村卓「孔雀の街」。 で、『本誌初登場』が森下一仁「サマー・クルージング」夢枕獏「天竺風鈴草」。 まあそういう時代だったのだろう。で、受賞作が杉本りえ「未熟なナルシスト達」。 一次二次予戦通過作品の所にも竹内志麻子とか新津清美とかなんとなく 気になる名前もあるのだが、これは見なかったことにするべきか。

_ 新井素子に話を戻すと、新井素子のデビューは1977年、第1回奇想天外 SF新人賞佳作入選。審査員は小松左京筒井康隆星新一で、星新一以外は ぼろくそにけなしていたのにも関わらず、星新一が一人で推しまくった。 とりあえず各人の語録。

_ 星「いやいや、ぼくがいちばん感心したのは、ストーリイ作りがうまい。 これだけのストーリイは、いまのSF作家にも書けないんじゃないか? これはやはり一種の得意な才能ではなかろうかと。突っつきようがないんだもの、 ほかの作品のようにここがおかしいんじゃないかというところがない……。」

_ 筒井「文章が幼くてかわいらしいのを、星さんは、「文章がいい」と勘違い しているんでしょ(笑)」

_ 小松「でも「あたしの中の……」を一位に推すにはちょっと選者として 恥ずかしいよ。「高校SFコンテスト」ならともかく(笑)」

_ そして入賞後、78年に「あたしの中の……」、80年に「いつか猫になる日まで」 刊行。この間について、「全然売れてなかった時にコバルトが拾ってくれな かったらどこも拾ってくれなかった」といったようなことを某まるまる新井 素子で書いていたり、「チグリスとユーフラテス」のあとがきでも 「処女作を出した出版社がつぶれて、原稿料も印税も踏み倒された私が、 何とか喰っていけたのは、偏にコバルト文庫でのお仕事があったから」 と書いている。というわけで、コバルト依存度はそれなりにあったにせよ、 審査員というより編集者の方の問題かもしれない。

■ 全然関係ないけど

_ 大森望「『ラビリンス──迷宮──』ブックレビュー」 (『日本SF年鑑1983年版』)って面白いのでしょうか。いや、 ちょっと気になったので。

■ ぬい関連

_ 私は「ぬいさん」ではなくて「ぬい」だ。短いし。 「神長」と同じようなものだろうか(←最近知った。この略し方は ちょっとショックを受けたらしい)。 タイトル4音節化も多いような気がする。「いつ猫」に 「星船」に「くますけ」に。ただ、そういうのは内輪向けの符牒なので、 ここではあまり使ってないように思う。

_ それにしても、「俺もこないだくますけうんぬん」という 情景はいまいち想像できない。そういうのは女の子しかできない ような気がする(3*歳の女の子とか0x3*歳とかでもいちおう可)が、 一人称が「俺」な女の子は「ぬいさん」とは言わないような気がする。 男の場合は、本人は何も言わず、 ただ部屋にぬいぐるみがたたずんでいたり、 机や椅子の上にぬいぐるみが居座っていたり、 鞄からぬいぐるみが顔を出していたりするだけである。たぶん。 もちろんそれでも(それだからこそ)釘バットな人はより釘バットを 振り回してしまう(ついでにニコチン塗ったり)のだろうが。

■ ぬいのいる文化圏

_ というか、この辺は文化圏の違いかも、という気がする。

_ 音楽で言えば古くは谷山浩子から、遊佐未森やZABADAKを経て 新居昭乃菅野よう子マーシュ・マロウ(チケットとれなかった(;_;))に 至る系譜というか(←やや恣意的なサンプリング)。 そういう系譜の文化圏にはなぜか ぬいぐるみな人の10人や20人が居てしまっている。 そんな文化圏に住んでいると、どうしてもそういう風潮に馴染んでしまって、 そのうち呼称も変化する。というような相関は あるかもしれない。

_ といっても、そういう文化圏に住んでいるからといって 「チグリスとユーフラテス」を好意的に論じるかどうかは また別の話だったりする。


2000/1/6 (木)

■ 風邪が

_ 治らない。

_ ふと思い立ち、Rubyの1.5をダウンロードしかけたところでダウン(本人が)。


2000/1/7 (金)

■ 風邪

_ は今日も治らない。

■ 新井素子関連

_ くろっくはちさんの日記 を読む。

_ いや、「チグリスとユーフラテス」も、もーヘンテコでテコテコなくらい ヘンテコリンです(謎) ある意味、悪趣味の極み、みたいなすごい設定なのに、みんな そうは思わない(らしい)。 こういうところもいかにも新井素子、という気がする。

_ 新井素子文体に関して。新井素子の文体の中でも、私は「グリーン・ レクイエム」から「夕暮れ・七つの情景」くらいまでのころが 一番好きだ。繰り返しを多用しながら、句読点をがんがん打ち込み まくっていた頃の、文体。それは今でも変わらないのでは、と思っている 人もいるようだが、ぜんぜん違う。今(より具体的には『くますけ』以降)の 文体に関しては、やや不満がある。昔のテイストがもっとあればいいのに。


2000/1/8 (土)

■ 見守る

_ 無事?にD論を終えたのださん命賭けで遊ぶのを 見守る会に行く。……はずだったのだが。

_ 風邪が治らん、と思っていたら、出遅れてしまい、見事に30分ほど遅刻(;_;) 集合場所には誰もいない。

_ 仕方ないし体調悪いしで、会社に戻って寝る。 途中、何度か谷田貝さんの携帯に電話をかけるが、 留守電になっている。夕方ころやっと通じたので、遅い夕飯から合流する。

_ で、懲りもせず新井素子とかいろいろ話す。ここでのトピックは、 私が某大SF研だったのがいまいち知られてなかった、ということ。 たろうさん まで知らなかったとは意外だった。うーん。

_ そしてカラオケへ。二曲ほど歌ったところで帰る。

■ 今日のリンクとか。

_ ディーン・クーンツのコーナー 。翻訳情報も揃っている著作リストもすばらしいが、 雑誌掲載記事や関連書の情報もある。

_ にしても奥さんとポルノを共著するのっていったい。

_ なお、上記ページのメンテナーは 瀬名秀明さんです。 瀬名さんの原稿(エッセイとか書評とか)も読めたりするのですが、 中で面白かったのは、 ジョン・ホーガン『科学の終焉(おわり)』の書評、 『「窮極」の終焉(おわり)』 。それにしても、ホーガンの言う「文芸評論の手法」って 駄目な文芸評論の手法なんじゃないのか。やはり時代はデータ主義。

_ そういえば瀬名さんはポルノは書かないのかな。バイオポルノとか(謎)。

_ 森山さんの日記(00.01.06) 。わたしも田舎の大学のSF研なので、SFな感じは すげー希薄でした。みんな好き勝手だったしなあ。弓岡先生は元気だろうか。

_ 有里さんの日記からリンクされていた(汗;) 。 Webでの公開はどうなんでしょう。私も早く公開してほしいけど。 確か、まずは「月猫通り」かどこかで発表して(彼は新月お茶の会の 人なのです)……と言っていたような気がするので、まだ先になると 思われます。

■ ヒロコとミモリ

_ 谷田貝さんの日記(1/6) を読む。フォローありがとうございます。

_ あ、ちょっと書き滑ってしまったかな。ぬいぐるみな人が主流、という 意味ではないし、「ファン」、というのも違うかな。 なんていうか、ファンというより、 谷山浩子とか遊佐未森とかZABADAKとかは聴いていて当然とされている 環境にいるひとたちからなる文化圏(←まどろっこしい言い方)の中には、 何人か(といってもかなりの確率ではある)はそういう ひとたちがいて、それがわりと自然に見える、という感じなのでした。

_ なお、この層の中でも年齢層が下になると、谷山浩子は聴いてない方が多い。 「お名前はよく聞きますよ」とか。ちょっと悲しい。

_ 谷山浩子と遊佐未森の違いは……ちょっとある時期以降の遊佐は ぜんぜん聴いてないので判断保留。相当変わった、と聞いているので。 まあ、違うと言えば、ざばや上野洋子とも違うしね。でもファン層は 不思議と重なるのだ。

_ それと。「ニッチ」というよりは、年齢層・世代の違いのような気もする。 89〜90年の谷山浩子と言えば、 「お昼寝宮・お散歩宮」 「冷たい水の中をきみと歩いていく」 である。前者では「鬼こごめ」、後者では「冷たい水の中をきみと歩いていく」が マイベスト。特に作風が激変した訳でもないし、やっぱりここで切れるのは 客層の問題じゃないのかな。まだ良く分かりませんが。

_ そういえば、一度だけ行った遊佐未森のコンサートで始めて会った、 ぬいぐるみを抱えてぴょんぴょんはねていた女の子には、 そろそろ子供が産まれるそうだ。めでたい。


2000/1/9 (日)

■ MYSCON

_ スタッフな集まりは、結局風邪も治らんので日和ってしまう。 すみません。

■ 直木賞

_ ずばり、本命はなかにし礼だ!(笑) いや、根拠はないです。

■ タイトル

_ 宮沢章夫「サーチエンジン・システムクラッシュ」 というタイトルはやっぱり恥ずかしい。とは言っても、 「日記猿人・鯖ぽなくなり」とかにしてやっぱり恥ずかしい (いったいどんな小説なんだか)。

■ ピータースン / クラヴァン

_ カワカミ さんが『真夜中の死線』で盛り上がっているらしい。 カワカミはキース・ピータースンの頃の作品は読んでます? 個人的には昔のにはまだ一歩足りない(特にラストの意外性が弱い)と 思うんですけど。

_ ピータースンは、

_ などなど非常に魅力に富んだ作家なので、普通に「面白くて楽しめる」 程度の作品では満足できないのだ。というわけで、 『真夜中の死線』にはちょっと評価が厳しいです (だから感想を書かなかったらしい)。

_ もっとも、ラストの意外性が弱い、というか、単なるサスペンス小説に なってしまっているのは、これの作品の根幹に関わる問題(まともに 調査された事件を、1日弱しか猶予のない状態でひっくり返し、真犯人まで 割り出してしまうのは非常に困難)ので、ある意味仕方のないところでは ある。もともときつい条件の作品なのだ。だから、「そんなきつい条件 の中でも一流のエンターテインメントにしてみせたクラヴァンはえらい」、 と言うこともできる。が、かつてのピータースンを知っている人間 としては「それがどうした」と言いたくもなるわけで。 もっと余裕のある状態に設定を変更することは不可能ではない(と思う) 以上、無理するだけの価値があったとはあんまり思えないのでした。

■ 小説とうまさ

_ 森岡浩之「月と炎の戦記」を読む。悪くはないんだけど。

_ 人は小説をどんな観点で評価するのか。単純に「うまさ」で評価する なら、この小説はうまい。日本神話を題材として、それを今風の小説と して巧みにアレンジしている。そのバランスはよくできているように見える。

_ が、「うまさ」だけでは何かが足りない。 それをカバーするものが必要である。そして、そのカバーするものが あれば、「うまさ」などたいした問題ではないのでは、とすら思って しまう。

_ 新井素子は、「うまさ」という評価軸ではいつも優れているとは 言い難い(というか優れていない)作家だったような気もしないではない。 しかし、うまさ以外の何かがいつもあったし、今でもやっぱりある。そして、 新井素子を好きな(あるいは好きだった)人が時々見せてくれる、彼女の小説に ついて語るときになつかしさと誇らしさに満ちた表情は、きっとその 「何か」に基づくものだろうと感じられてならない。

_ 新井素子にはうまいだけの作家には絶対になってほしくない、と 心から思う。そして森岡浩之が、(とりわけ星界シリーズ以外で) そのうまさをどう効果的に使いこなしていくのか、が、気になる。


2000/1/10 (月)

■ ミステリー・ミステリ・ミステリィ問題

_ そういえば一昨日、 風野さんともお話した、 「ミステリー・ミステリ・ミステリィ」表記問題について。 とりあえず事実情報のみ(たぶん、「その1」を読んでいただければ、 なぜ本格以外のものも「ミステリ」に含まれるかが分かると思います>風野さん)。

_ その1。瀬戸川猛資「夜明けの睡魔」(創元推理文庫)では、以下のような記述がある。

「ミステリ」は、かつてポケミスと創元推理文庫が市場独占していた時代を思い起こさせる、特殊で、趣味的で、スマートな呼び名で、ズバリ探偵小説・推理小説を指す。 「ミステリー」は、探偵小説・推理小説をも指すが、そのうえに冒険小説やホラー、犯罪実話なども含め、さらに「口紅はミステリー」なる化粧品のコピーや、「航空機墜落の謎、空白二時間のミステリー」といった新聞記事なども連想させる。茫洋、混沌としたイメージ。 こういう感じなのだ。 (p.16より)

_ その2。「ミステリィ」は森博嗣のオリジナルではないし、森博嗣 ローカルルールは「ミステリィ」以外にも有効なのでこの語だけ 取り出して評価しても意味がない。

_ その3。「ミステリィ」は「森博嗣の作品」を指す単語として使う人と 「ミステリ(ー)全般」を指す単語として使う人がいる。 後者は森博嗣経由でミステリ(ー)に来たひとに多いように思われる(ここは 推測)。

■ それにしても、

_ いったい風野さんは何を理解したのだろうか。 たろうさんはどんな理由を挙げていたのか。それよりも何よりも、 風野さんは患者に「きみのあたま、ぼくが良くしてあげよう」などと 言いながら診たりするのだろうか(たぶんしません)。

_ 謎は深まるばかりである。

■ 忘れもの

_ 出がけに、のださんへの忘れ物があったことに気づく(大汗;) すすすみません。

■ すっぱいましゅまろオフ

_ というものもあったのですが、これについては本当にすっぱかったので 書きません(;_;)


2000/1/11 (火)

■ 「おしまいの日」がきた。

_ 今週末より新宿シネマカリテにて、新井素子の今世紀最高傑作、 「おしまいの日」が公開されます。

_ というわけで、 http://www.musashino-k.co.jp/eiga/data/karite/oshimainohi.html から持ってきたポスター。でかくてごめんなさい。

「おしまいの日」ポスター

_ 裕木奈江がいー感じに壊れているところに期待が持てます。でも 「これを観ないと「おしまい」がくる」はちょっとなあ。

■ 日記から

_ 有里さんの日記を読む。 Demon ではなくて Daemon のような気が……。

_ ちなみにBSDのマスコットも で〜もん君。

■ 御結婚

_ なんと、秦と安田さんが結婚するらしい(って、誰も分からないか。 1989年ごろの南高ブン局ローカルネタです)。そ、そんなのってありですか?!?! かなりショックでかし。新聞局OB有志は総力を結集して「結婚新聞」を 作るらしい。個人的には英記の小説を希望 :-)


2000/1/13 (木)

■ 「おしまいの日」を読む。

_ いちおう、予習のために。

_ Q. どうして新井素子は説明が多いのか。地の文で延々二人の 状況とかこれからの展開について説明したりするのか。

_ A1. とにかく分かりやすくするため。

_ A2. 「地の文で延々説明するのはかっこ悪いので、情報の少ない人物 を登場させ、その人に語ってみたり、 考えをまとめる振りをして一人語りさせるなどして、 読者にそれとなく説明するべし」という小説作法を 持ち合わせていないため。

_ A3. 実は読者はさほど「それとない説明」を求めていないため(?)。 ヤングアダルト・ライトノベル作品で、人物などは字で説明するより イラストで描いた方が分かりやすい、というスタンスに通じるもの があるかも。

■ 風邪

_ は、ぶり返してしまったらしい。 熱もありそう。幻の猫も見えそう(見えません)。

■ 日記から日記へのメッセージ

_ 有里さんの日記 を読む。……の前に、自分の書いたのが意味不明だったような(汗;

_ そうです、「コンピュータの中に棲んでいるもの」は「ふつーdaemon」じゃ ないかと思っていたのです……が、どうもdemon/daemonの使い分けにも 流派があるようですね。 というわけで、Jargon Fileでの daemon demon

_ たろうさんの日記を読む。いや、あれは 1/9の日記で私にリンクされている「話題になったこと」のことです。

_ 谷田貝さんの日記(1/10)は、どう反応していいか分からないので ノーコメント(^^; ていうか、有名だったのか……。


2000/1/14 (金)

■ パブロン

_ を買って飲む。

_ この薬は割とよく効くので重宝している。もちろん直るわけじゃなくて、 症状を抑えてるだけなんだろうけど。

■ 日記から。

_ みらい子さんの日記(1/9)を読む。いや、ネットだけじゃ 分からない、と言っても、ネットの外で何時間話しても 分からないこともあると思います :-)

_ 守岡さんが日記を始めたらしい。g新部さん、半田さんといった 方の名前も見える。っていうか、 1月7日の、 「GNU libc は実際には Unicode に依存しておらず、内部表現は 32 bit の単なる列で、その semantics は定義 file で定義するような仕組みになっている」 ってほんとですか?! 全然話が違うしょや!(←glibc は UCS-4べったり だと思っていたらしい)

_ ……まー、実際は定義ファイルでUCS-4べったりにしか使われていない のかもしれないが。しかし、世の中奥が深い。何事にも表と裏がある のかも。

■ 北村薫

_ についてはいろいろ書きたいこともあるのだけれど、時間がないので パス。そもそもほめる言葉はほとんど持ってないし。

■ おやすみ

_ 本の虫茶房が 冬眠してしまった。にしかわさんのサイトはずっと好きだったので すこしさみしい。


2000/1/15 (土)

■ 整理券

_ 「おしまいの日。」(どうやら「。」が入るらしい)の整理券を もらうため、朝から新宿に出向く。

■ お買い物

_ その後、紀伊国屋による。

_ ピータースンは布教用というよりレビュー用。「暗闇の終わり」は 本屋で立ち読みしようとしたら思わず泣いてしまいそうだったので 読めなかった(もちろん例の電話のシーン)。

_ 小平邦彦は、たまにはお勉強の本でも読もうと思って買ってきたのだが、 これが面白い!

_ というスタンスのもと、「図形を描くのは図形の科学の実験」(p.176)とまで 言ってしまうのだ。すごいすごいすごい。ていうか解説の、「残念ながら 小平のこの卓見を真剣に考慮した教育者の議論を聞いたためしがない」のは ほんとなのか(上野健爾の知らないところでひそかに話題になっていた 可能性は否定できないとはいえ)。ぜったい面白がったりすごいと思ったり する人がたくさんいると思うのだが。ていうかいないのはひどすぎ。

■ 「群像」の東・阿部対談

_ を読む。いちおうミステリーな話もしていたので。

_ しかし、「キャラ萌え/キャラ立ち」の二項対立の図式はともかく、 ミステリーの「キャラ萌え」サンプルとして清涼院流水を持ってくる のは問題あるのでは。普通に考えれば、ミステリーでのキャラ萌えとしては 島田・京極・有栖川といったラインを外すことはできないだろう。 それらを「キャラ立ち」としてくくってしまっていいのか。 いくら清涼院の作品が特異であっても、所詮コミケなどではまだまだ マイナージャンルなのだし。

_ というか、そもそもキャラ萌えはキャラ立ちと対立する属性なのかどうか。 また、キャラ萌え読者がいる(とされている)作品として、 キャラのスペックがばんばん描かれている清涼院のキャラに対して、 例えば某えここのように、スペックも名前すらもないところからいきなり 立ち上がる(立ち上げられてしまう)萌えキャラもいる。これらの違いは なぜ起きるのか。

_ 結局、「キャラ立ちしてる作品かどうか」と 「キャラ萌えしやすい作品かどうか」は独立した事象で、それぞれに分類した あとで、どういう関連性があるのかを探る、といった手順が必要なのでは。

_ や、わたしもあんま萌えない人なので、外しているかもしれません。

■ そういえば、

_ 竹本健治の本の解説を大森さんが書いていた。いやー、SFの解説で 田中幸一さんのお名前が拝見できるとは思っていませんでした :-)

■ 無冠の帝王

_ ちはらさんの日記を読む。 そうか、田中世界においては推理作家協会賞など「冠」のうちに入らない のですね……。

■ 「おしまいの日。」を観た。

_ というわけで、レイトショー「おしまいの日。」を観てきた。 会場は混んでいて、通路には座り見、後ろには立ち見が出ていた。まあ 舞台挨拶のせいもあるのだろうけど。

_ 舞台挨拶は、監督が、この原作を映画にすることにしたいきさつみたいなこと を聞かれ、「長くなるので話せません」と答えたことしか覚えてません(^^; あと、「監督から最後に一言」と言われマイクを渡されて、一番前の席にいた 方に「あなたはどうしてこの映画を見に来られたのですか?」と聞いてたこと とか。監督良すぎ。そういえば、パンフレットにも監督の言葉はなかった。

_ 映画そのものについては……うーん、原作をどう料理するかというところで、 ある意味では全然別のものにしているけど、ある意味では忠実なところも あって、原作読みとしてはなんとも面白かった。原作ではとにかく三津子 の視点に重点を置いて物語が記されているのに、映画では忠春の視点が しっかり描かれているのが大きな違いでしょうか。 また、原作では、とにかく三津子の異常性を三津子の一人称でばりばり 書きながら、ラストで「異常なのは三津子のせいではないのでは」と 思わせるところがポイントだったのに、映画では忠春の方の「異常」さも 描かれている。しかし、これらのことにより、 「三津子と忠春の二人だけの世界があったのかもしれない」(うろおぼえ) という間氏の発言が生きてくる。それを象徴するシーンが、三津子の 声に合わせて忠春が泳ぐマネをするところ。ふつうに考えれば異常な シーンだが、それが感動的なまでに昇華されている。あれほど二人の 幸せが描かれていたシーンががあるだろうか、というくらい。 そう、おそらく二人は本当に、本当に幸せだったのだ。

_ 間夫妻に関しては、中盤までの描き方はいいんだけど、 ラストで「変わったね」と言われても何でどう変わったのかが 描かれていなかったような気がする。ので、やたら唐突に思えたの ですがどうなんでしょ。ちょっと不満。

■ 「素子姫」について

_ 新井素子MLなみなさまにお会いしたときに、古いふぁんろーどを 見せてもらったので、メモ。

_ しかし、確かに当時のふぁんろーどでの新井素子の扱いはちょっとなあ、 と思わないでもない。


2000/1/16 (日)

■ 結局

_ 今日はほぼ一日寝ていた。

■ 日記から

_ 松本楽志さんの日記を読む。

_ 「キツネ狩りのうた」は、要するにその構造が面白く、それに いろいろな物を重ねて解釈できるので、多様な使い方ができる、 ということなのでは。それに対し、「原材料」を一意に確定しよう としても、それは普通の小説の原材料を確定しようとするくらい 無茶な話になってしまうでしょう。 ……と思ってしまうのは、 原材料などを特定する気にすらさせない曲が多い谷山浩子とかを 聴いているせいでしょうか。「時の少女」しかり、 「てんぷら☆さんらいず」しかり、「月と恋人」しかり、 「キャンディーヌ」しかり。

_ とにかく「戦争に対する社会的な視点だ、ととる解釈」というのは あまりにもつまらない……。まー解釈のひとつとしてはありだけど。 いや、「邯鄲」は、ビデオか何かでちょっと観ただけなので、 そこでの使われ方はあまり知らないのですが。

_ さて岳志楽志問題についてですが……何しゃべったか覚えてない……。 でもがくしーさんのこともお給仕犬さんのこともあんまり話さなかった ような。ていうかこれは二人の問題なんで、別にどうこう言う必要 ないよね、という見解のもと、それよりも運営をどうするかといった ようなことを話してたような気がします。


2000/1/17 (月)

■ パリからのエアメール

_ のぞみからメールが届く。いきなりUTF-8で、しかもフランス語と 日本語混じり(汗; 案の定、Mule は暴れてしまい、何も読めない。

_ 仕方なく、どんな符号化方式でもばりばり読める lv を使って 読もうとするが、うまくいかない。むー。

_ というわけで、ついにUTF-2000に手を出すことに(^^; いや、 MULE-UCS でも読めることは知っているのですが、やぱし 乗りかかった船、ということで。

_ しかしこんなにあっさりとM17N(*1)なテキストを実際に読み書き しなければいけなくなる状況になるとはあまり思っていなかったので、 ちょっと驚いている。M17NとかI18N(*2) とかは完全に趣味で調べているだけで、実用性はまったく意識していなかった のだが。

■ お買い物

_ 「BULLET BALLET」(監督・脚本・製作・撮影監督・美術監督・照明・編集:塚本晋也)、 「ガラスの脳」(主題歌作詩作曲:谷山浩子(^^;)、 「おしまいの日。」(原作:新井素子)とくれば買わないわけには いかないでしょう(そうなのか?)。


*1: Mulitilingulizationの略。MとNの間が 17文字なので、M17Nと略する、という無茶苦茶な造語法に基づき作られた単語。
*2: Internationalizationの略。これも 18文字だから。ちなみにLocalizationも想像通り、L10Nと略する。


2000/1/18 (火)

■ 餅は餅屋

_ 病気は病院、ということで病院へ行く。薬をもらう。 ムコソルバン(去痰剤)、クラビット(広範囲経口抗菌剤)と 総合感冒薬。……と言われても、薬の知識がないので何のことやら。

■ お買い物

_ もっと早く買っておいてもよかったのかも。

■ UTF-2000

_ とりあえずインストールはできたもの、フォントの大きさを 調整させる方法が分からない。

_ メールソフトも、ということで、SEMI関連ファイルもダウンロード。 しかし、flimがインストールできない。adviceがない、とか 言われてしまう(確かにないけど)。

_ 先は長そう。


2000/1/19 (水)

■ UTF-2000

_ フォントの調整はできるようになった。が、動きが なんともぎこちない。最初のファイルの補完が無茶苦茶長い のはなんとかならないものか。


2000/1/20 (木)

■ファンロード / 新井素子の90年代

_ 谷田貝さんの日記(1/17)を読んでの感想も交じえて。

_ 私にとってファンロードというのは、「シュミ特にアミバを載せる ためにある雑誌」なのですが、それはさておき。

_ 私が持っているのは1986年10月号。新井素子特集としてはおそらく 最後の号だ。この号で取り上げ方はそんなに変ではなかったというか、 ある意味では安定していたように見える。新井素子もすでに結婚していて、 主婦モードに入ってるし。

_ それに比べると、 82年の特集は浮わついた感じが否めなかった。「作品」よりも「作者」を クローズアップするような扱いだし。82年にはすでに島村春菜の車田パロマンガが あったが、例えば車田本人をクローズアップする雰囲気はない。他の 作家(というか漫画家)も同様だろう。

_ それにしても、新井素子は「永遠のSF少女」なのかな? わたしの周りの新井素子読みは、今20代〜30代くらいのひとが多いような 気がするが、「永遠のSF少女」というイメージはあまり持ってないような。 なので、谷田貝さんが何を問題としているのか、いまいち良く分から なかったり。ひょっとしてSFファンダム内ではそう見られてるんでしょうか?

_ 普通の新井素子のイメージは、

_ 辺りが大きいような気もするが、ここから「SF少女」のイメージは あまり近くない。そもそも私くらいの年代でコバルトを読むとすると (時期的には80年代後半)、新井素子はすでに結婚していたり するので、「少女」という語感とはちょっと違っていたりする。 わたしにとって、新井素子はすでに「少女小説」を書く「大人」だったのだ。 やはり年代の差だろうか。

_ そして90年代以降の新井素子の問題は、

「小説の「新作」が少なすぎる」

ということに尽きるのでは。88年くらいからの小説作品を見てみる。

_ # 「わにわに物語」ものは都合により小説とは見なしておりません。

_ これを見て分かる通り、92年の「おしまいの日」以降、コバルト以外の 小説は1冊もなかったのだ。コバルトに関しても、今は手に入るかどうかも あやしい「星へ行く船」シリーズと「ブラックキャット」シリーズの 続きである(しかも「星から来た船」は92年だし)。 昔の読者はもうコバルトは読んでないという人も多いし (未だに浩祥まきこだの竹岡葉月だのと言って喜んでるのは私くらいの ような気がする……でも浩祥まきこは面白いから読んでほしかったり。 「やさしい雨」なんてどうでしょう?)……話がそれた。で、今どきの コバルト読者にとっても、昔のシリーズなんて手に入らないのでいまさら 読めるかどうか難しいし、読んでも口に合わない可能性もかなり高い。 やっぱり、新井素子の基本的な活動舞台はもはやコバルトではなく 一般向け(というのもあれなんですが)小説の世界だろう。

_ だから、コバルトを読まない小説読みにとっては、「おしまいの日」以降、 「チグリスとユーフラテス」まで、新井素子という小説家は作家活動を 休止していた、と言っても、あながち言いすぎではないのかもしれない。

_ というわけで、「後に続くひと」というのは特に関係ないと思う。 また、「消費されつくした」という感触もない。作者のキャラクターを 消費しようとしていた人にとっては消費しつくしたのかもしれないが、 少なくとも私にとっては、そんなのは最初からどうでもいいことだ。

_ ただ「時代と心中」という側面は一部あるかもしれない。いや、作者では なく作品が、である。 新井素子は同時代の風景と雰囲気をそのまま作品に出す傾向が強いので、 過去の作品は今読み返すと違和感があるものもある。ああいう書き方は、 もう好まれないのかもしれない。

_ それでも、 「おしまいの日」はもちろん、「あなたにここにいて欲しい」とか 「ディアナ・ディア・ディアス」とかなら、今読んでもほぼ問題ない だろう。あるいは、「……絶句」より後の作品なら大丈夫、とも言える。 逆に言えば、「……絶句」以前のいわゆる「もとちゃんワールド」が 如実に反映されている作品群においては、遠くなってしまったような 感じがする。これがもう少したつと、なつかしい時代の風景・感性として 読めるようになるのかもしれないが。


2000/1/21 (金)

■ 原典

_ エイダ萌えなあなたと、原典主義のきみに贈る、 The Analytical Engine Sketch of The Analtical Engine Invented By Charles Babbege By L. F. MENABREA,(...), With notes upon the Memoir by the Translator ADA AUGUSTA, COUNTESS OF LOVELACE(略しても長い) 。

_ ハッカーのメモですね。訳者もハッカー。

■ お買い物

_ 天バカ連載復活。竹岡美穂は巻末のイラストだけ? でもよい感じ。 おお、吉田縁はジャンヌ・ダルクを書くのか。


2000/1/22 (土)

■ 新化

_ 石黒達昌の「新化」(ハルキ文庫)を見かけたので、手にとる。

_ ……愕然。縦書きになってるし、写真も減っているし、 「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝されて明寺伸彦博士,並びに,」 が「新化 PART1」になっている。まじですか。

_ 横書きはそんなに視認性が悪いのか。私見では、この 小説は横書きの方が合っていると思うのだが。残念である。


2000/1/23 (日)

■ lire une journal

_ # (↑似非仏語。公開日記は「journal intime」と言っていいのかな?)

_ ちはらさんの日記を読む。

_ そうですね、その三作はまだ未収録の筈です。 それ以降に未収録のものは、「ふたりのかつみ」の第三話、 「大きなくすの木の下で」くらいだったでしょうか。うろおぼえ。

_ # どっちも出来はアレだから、というのはアレなのでアレです(謎)

_ そうそう、「阪神が、勝ってしまった。」も新井素子単独の本には収録されていないか。

_ 「作者の不評」については、「まるまる新井素子」などで 読める。p.66〜p.67。ちなみに「 影絵の街にて」はマンガ化されているはず。


2000/1/27 (木)

■ なんだか

_ 日記さぼりまくり。

■ そうだ、フランス行こう(汗;

_ というわけで、いろいろブックガイドを見たり。うーん、 やっぱりお上品でない、旅行のための網羅的な本で 「地球の歩き方」を越えるものはないのか。あんまり マニアックなのもあれだし。

■ Intelligence Artificielle

_ 森山さんの日記 などを読むと、どうしても昔AIをやっていた、たかはしくんのことを 思い出す。でも、いろいろ書こうと思っても、なかなかうまく書けない。

_ たかはしくんのヒーローは、松原仁と橋田浩一だった。 松原の一般化フレーム問題と、橋田の力学的プログラミング(←名前が ちょっと違ったかも)が好きだったのだ。 特に後者はものすごく、動的に計算順序を決定するために、 1ステップ計算を実行するごとに偏微分方程式をがんがん解く、という、 どう考えても効率悪すぎるモデルだったのだが、 「真に自由な計算はかくあるべし」という信念の強さにたかはしくんは 激しく感動したと言う。

_ 今でもたかはしくんはAIが好きらしい。ALも嫌いじゃないけど、 基本的に「ことば」が好きなので、「日本語もしゃべれん 知能は却下」ということだそうな。「知能に身体が必要、って なら、身体をエミュすればいーしょや」などと、勝手なことを 言っている。

■ 日記から

_ 守岡さんの日記を読む。をを(^^; それはうれしいかも。

_ しかし、どうも xemacs-utf-2000-0.12 にはいろんなlibraryが入ってないらしく、 これだけでは APEL/FLIM/SEMI は入れられないような気が。 xemacsってそういうものなのでしょうか。 FreeBSD 3.3のPackageを適当に突っこむとインストールはできる のだがエラーが出てしまう(<それはインストールできてません)。

_ いがらしさんの日記を読む。ばればれ(^^; ていうか 前から読んでました(^^;;;

_ hns のいくつかのバージョンはProxy越しだとうまくいかない ような気がします。会社から読むとむちゃくちゃむかつきます。 しかし読めるのもあるのでなんとも。

_ それと、「UTF-8でいいじゃん」は堕落だと思います :-) 「UTF-8も悪くないじゃん」とは思いますが。


2000/1/28 (金)

■ Le Français

_ 指摘されてしまった。とりあえず定冠詞重要らしい。Merci>のぞみ

■ スキルと物差し

_ カワカミさんの日記(000126)を読む。

_ 『「アレが足りない」「コレが描かれていない」ってのは、あまりに不毛』ですか。 うーん。 つまり、 私の「真夜中の死線」の読み方 は「あまりにも不毛」だ、ということか。

_ よく分からない。いやまあ私は不毛なのかもしれないが。

_ 私には私の物差しがある。物差しは磨きたいと思う。が、物差しを 磨くということは、様々な作品の面白さを見出せるようになる反面、 様々な作品の欠点をも見出せるようになってしまうのだと思う。それには 目をつぶるべき、ということなのだろうか。

_ やっぱりよく分からない。

■ lire le journal

_ 守岡さんの日記を読む。こんな話にこんなフォローがつくとは(^^;;

_ まー、「確率とか統計量」になっちゃうのは、まずは仕方ないのでは。 汎用的なものを考えるとそんな感じになりやすいので。それよりも、 もっと複雑な系で、ある状態ではこっちに負荷がかかって、それが 別の状態になると違うところに負荷がかかって、……みたいな、 何らかの自律的な実行制御ができると面白そうだが、そこまでは やってなかったような。やっぱやるならそこまでやらないと、と 思わないでもない。

_ ちなみにたかはしくんは「現実の彼ら」にはあまり興味はなかったらしい(^^; 私が現実の新井素子にそれほど興味がないように(<でもイベントがあると つい行ってしまう奴)。結局たかはしくんが好きだったのは、 彼らの著作物だった、という気もする。

_ GDAはよく知らないです。タグつけのやつですよね? なんていうか、 HTMLの成功をうけてのものだから、DTDも一つというか、限定された ボキャブラリで、って話になるのでは。

_ 言語についてはまたあとで書きたい。ていうか、獲得はぜんぜん弱かったり(汗; 何にせよ、研究まで落とし込むはむずかしそうだよなあ。

_ packageについては了解です。やはりそうだったのか。 って、FreeBSD 3.3のpackageになってるpackage(ややこしい)でいいのかな? FreeBSDのxemacsは20.4なんですが。


2000/1/29 (土)

■ 今日

_ そうだ、今日は誕生日なんだ。28歳になりました。なんの感慨もないですけど。 いや、ちょっとあるかも。

_ そうそう、倉阪鬼一郎先生と一日違いです(年齢は干支にして1回りくらい 違いますが :-))。遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。

■ ミステリー大賞2000

_ すでにシリーズ賞の投票が始まってます。本投票もそろそろ始めます。 http://jmai.org/からどうぞ。

_ # いまさらながらシリーズはあんまり読んでないことに気づく(汗;

■ MYSCON

_ MYSCON の一次募集はあっという間に終わってしまいましたが、 二次募集もあります。1/30の12:00からです。

_ ちなみに、私がぼーっと考えているネタとしては、

ミステリ系日記者の集い
日記書きと日記読み限定で、ミステリ系日記の昨日・今日・明日を占う(謎)
ネタバレの部屋
好きなだけネタバレありで話せる場所。例えば○○と○○って ネタがかぶってるよね、とかいう話をする。万が一読んでない人が いても、読んでない奴が悪いというわがままなルールが 適用される。別に読んでなくてもネタ割られていいなら参加可。 もちろん通常空間からは隔離(^^;

_ というのがあります。企画たてるほどではないと思うし、実際に やるかどうかも未定(日記者の方はたぶんやります)。 それと、「作家が掲示板や日記を持つこと 掲示板に現れたり、日記ページを持ったりすることは読者にとってどうか」 という話はしたい(※ちょっと訂正)。

■ スキル続き

_ カワカミさんの日記(000128) を読む。反応どうもです(_o_) でもやっぱり良く分かりません(;_;) なんかもう終わってしまった話を蒸し返してるみたいで あれなんですが。

_ つまるところ、 『「アレが足りない」「コレが描かれていない」ってのは、あまりに不毛』 だという言葉が、実のところどういうものを指しているのかが良く分からない、という ことかも。いや、最初に読んだときは私のページも含まれると思ったし。 具体的に、どこのどういう記事あるいはページが「あまりに不毛」 なのか教えてくれると分かるかもと思うんですが。
# さすがにまずい?

_ 例えば『チグリスとユーフラテス』について、 「アレが足りない」からダメ、といったような批判も あったような気がします。でも、それを読んで「不毛」だとか 「楽しみ、面白がれるポイントを見つけるべきor見つけた方がいい」 とは全然思えませんでした。どうして私は面白がれたのに、 彼or彼女は面白がれなかったのか、と考えたりはするのですが。

_ さらに、感想の読み手としては、そういうものを期待している場合すらあります。 例えば新井素子の感想であれば、あらゆる感想を読みたいので、 「○○が足りないから『チグリスとユーフラテス』はクズ」とか言い放つ ものでも、私にとっては全然不毛ではないです。むしろ、 そう思ったのならぜひそう書いてほしい (いや、あんまり書かれすぎても困るかもしれないけど(汗;)。

_ うーん、「不毛」ということばに過剰反応しすぎなのだろうか。

■ お買い物

_ というわけで、自分へのプレゼント。

■ 鈴木祥子

_ は、高校のころから聴いている。一時期聴いていないこともあったが、 今でも聴いている。

_ 鈴木祥子がなぜ好きなのかはよく分からない。どちらかというと、 わたしの好きなものの傾向からは外れているような気がする。 ふつうなら、

愛はいつも正しいと思う 愛はいつも導いてくれる(『愛はいつも』)

_ なんてことを歌う歌は、まず好きになれないと思う(もっとも、 この詩は鈴木祥子本人のものではない)。 納得いかないはずなのだ(いつも正しいわけなんてないっしょ!)。

_ でも、鈴木祥子が歌うと、なぜかそれがすごく納得できる言葉に きこえてしまう。不思議なことに。なぜなのだろう。

この愛をつなぎとめたい 想い出の深さを抱いて お互いをゆるしてみたい これからの未来はふたりだけが知っているから (『この愛を』)

_ というわけで「あたらしい愛の詩」である。感想:「愛」だらけ。 もう「LOVE or DIE」……と書くと語弊があるが、実際 そうなんだからしょうがない。Love-drivenな人生。でもまあ 「25歳の女は」みたいに、

今日もまた違うベッドに寝てる 天井は見慣れない色だし
こんな暮らしじゃもう あたしも永くないよ

_ と、ざらりとした声で歌ったりもするが。さすが「すてきな奥さま」(<という タイトルの鈴木祥子同人誌かサークルがあったはず。)である(違います)。

I still love you. ここで過ごした日を忘れない (あたらしい愛の詩)

_ 鈴木祥子を誉める人はなぜかミュージシャンに多いらしい。音楽の クオリティが高いのだそうだ。が、わたしにはそういうのは よく分からない。ただ、好きなだけだ。 それでもいいかな、と思う。


2000/1/30 (日)

■ 買わなかった本

_ よっぽど買おうかと思ったのだが、昨日ばか高い本を 買ったばっかりなのであきらめる(;_;) 日本人が書いた本ではないのに、谷山─志村予想と、二人の 人物そのものを大々的にとりあげられていたのには少し驚く。

_ (……って、谷山豊という数学者って、一般によく知られているんでしょうか? わたしのなかでは「有名な数学者」になっているのですが。)

_ 谷山豊全集は何度か手にとったことがある。とうぜん論文は 読んでも分からないので、エッセイとか、人物紹介とか、 ……そして、遺書を読んでいた。そう、谷山豊の全集には、 彼が最後にしたためた遺書の全文が載っているのである。 自殺した人の全集というのはそういうものなのだろうか。

_ あれをはじめて見たときは驚愕した。 その、どうにも生々しい文章は、読んでいるものを 何とも言えない、重たい気分にさせるものだった。

_ ……マンハントものですか? これ、ひょっとして面白かったり するのでしょうか?? これもノベルスとかだったら読んでみよう かとも思ったのですが、ハードカバーでも読むに足る作品なんでしょうか。


2000/1/31 (月)

■ お買い物

_ おかざき真里の新作、「雨の降る国」が載っていたので、手にとってみた。 ぱらぱらとめくって。そしてとんでもないことに気づく。(以下、おかざき 真里ファンで先入観なしに読みたいひとのために色を変えます)

_ これ、「冬虫夏草」(表題作)の リメイクでしょや!

_ あまりの事実に愕然とする。こ、こんなことをやっていいのか。 「BX」の比ではないぞ。なんでよりによってこれなのか。あああああ。 しかしつまらないわけではないのだ、これがまた。とにかく続きが気になる。





written by Maki (maki@open-news.com)
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