notさんの
nDiaryを使っています。
リンクは、
"http://www.rubycolor.org/maki/d/yyyymm.html#dd_n"
形式(年(yyyy)、月(mm)、日(dd)、段落の通し番号(n))で。
突然ですが今札幌にいます。 明日、 「オープンソースカンファレンス2005 in Hokkaido」なるものが ありまして、そこに参加することになっています。 しかも、会場はなんとクラ館。こんなところでイベントをやることになるとは 思ってもみませんでした。
Rubyの会は今回はセミナーはないのでずっと展示の方にいるつもりですが、 まつもとさんの講演の間は開店休業になる予定なのでご了承くださいませ。
興味と時間のある方はクラスのひまな人((C)逆境ナイン)でも連れて ぜひお立ち寄りください。
この前の日記を書いたときには、まだ高橋メソッド」の ページもなければるびま第6号の巻頭言も 書いてない時期だったんですよね……。
高橋メソッドは始めた本人以上に周りが盛り上がってしまっていて、 戸惑うところも大きいわけですが、自分でプレゼンする際には 淡々と使いつづけていくのでしょう。 そのうち流行は廃れるとは思いますが、そのころには わたしの周りの人たちのプレゼン資料の文字の大きさが 一回りか二回りくらい大きくなっていればいいな、と思います。
るびま6の巻頭言は……最初はRubyの普及に関することを 書くつもりだったのですが、あの事件が起きて、 あのことを聞いて、他に何もかけなくなってしまって……。 最近は家で書くより出先の喫茶店などで書くことが多いのですが、 あの原稿は近所のドトールで泣きながら書いて、 某SFセミナーの昼休みに近くのニューヨークカフェで泣きながら仕上げて、 その後は自宅で泣きながら推敲してました。 喫茶店で泣きながらノートPCを叩く図は、傍から見ていて相当怪しいひとに見えたんじゃ ないだろうかと思います。
「ひとつ聞きたい。なぜこのプロジェクトは失敗したのだと思う?」
「……私は、まだ失敗が確定したとは考えておりません」
「では無事にリリースできると思うのか?」
「……」
「『特殊開発環境』……」
「希望だよ。今のわれわれに残された最後の希望。それがローレライだ」
「なぜ部内においても極秘なのでしょう?」
「その力の大きさゆえに……とだけいまは説明しておく。当社の滅亡を回避し、
この案件にあるべき納品の形をもたらす。ローレライにはそういう力がある」
「そんなことしたら、自分たちの方が人間でなくなってしまいますよ。 納期に間に合わないからって、なんでも許されるわけじゃないでしょう? それじゃしまいには、この業界から人がひとりも いなくなってしまいますよ……!」
「だから……だからなんです。こんな屑みたいなおれたちだからこそ、 人間らしくコードを書きたいって若僧の思いを汲んでやっちゃもらえませんか? いまじゃすっかりくたびれちまいましたが、自分もプログラミングを覚えた ばかりの頃は、こんな顔をしていたに違いないんです。……」
「あんたたち馬鹿なコンサルが始めたくだらないプロジェクトで、 これ以上人が倒れるのはまっぴらだ!」
『なぜ』
納めるために。
このプロジェクトの犠牲をあまねく鎮めるために、いま私は魔女になる。
プログラマたちに死をもたらす魔女ではなく、
すべての開発に終わりを告げる納品のローレライに……。
――このプロジェクトに「あるべき納品の形」をもたらすといわれる 特殊開発環境・ローレライのビルドに成功した507チーム。 あらゆる絶望と悲憤を乗り越え、507チームは最後の開発へ赴く。 孤立無援の状況下、メンバーたちはそのリリースにすべてを賭けた。 そこに守るべき未来があると信じて。 今、くり返す混迷のデスマーチに捧げる「納品」の祈り。畢生の大作、公開。
というわけで、年明けからやってた案件が一つ無事に片付きました。 いや、あんまり無事じゃないんですけど、うちのやった分は 無事だったと思いたい……。
なんとなく本屋の詩のコーナーに行って、なんとなく一冊の手に取る。
「低空」 昼休みに 給食をぜんぶたべたら 好きなことして いいから わたしは 石を積もう きょうの 給食の牛乳には ケシゴムが入っていて わたしの 花壇は 荒らされていて 窓の外では 誰かの笑い声 教室では 誰も見ない 誰も聞かない わたし しんでしまった カーテンの 裏側には 鬼 がすんでいて わたしの 積む石を 壊してしまう (せんせいあのこの となりにすわるの はいやですばいき んがうつるんです) (略)
ネガティブな感情というものは、それが強ければ強いほど表現 しづらいものですが、それなりにうまく加工されて、 それでいてもその切実さを殺さずうまく残しているように思いました。
「イマワノキワ」 一通の手紙が届いた 十年来の友達から の遺書であった 大量の薬を飲み 息絶えていく彼女 の死に際を私は克明に想像できた 私の右脳には穴が開いている から 容易に感情は消え 去る 私の右脳には穴が開いている から いつまでも 満たされることはない 何を期待しているのだろう 絶頂 か 絶望 か どちらにしろ何かを期待 しているわけだから 私はどこまでも普通のにんげんなのだ (略)
あとがきの最後の一行、「大丈夫、私は元気です。」という 言葉に、すごく安心してしまったのですが、折込の 小冊子にも池井昌樹さんが似たような感想を書かれていました。 そりゃそうだよねえ。