ただ、風のために。5 (2002/May)

遠い記憶
1999 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]
2000 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]
2001 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]
2002 [01(a,b,c) 02(a,b,c) 03(a,b,c) 04(a,b,c) 05(a,b,c) 06(a,b,c) 07(a,b,c) 08(a,b,c) 09(a,b,c) 10(a,b,c) 11(a,b,c) 12(a,b,c) ]

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2002/05/21 (Tue)

[BOOK] Cobalt考課表

トップページも書きました

[PROG] TCP/IP プロトコル

米田さん(02/05/20(月))からリンク。

えーと、臨床云々についてはちょっと話がずれてるような 気がするので、私としてはまずは斉藤さんによる解説を 読んでいただきたいんですが、それはおいといて。

 TCP/IPのプロトコルを策定したのは米国防総省だそうです。連中がいわゆるフェアな 事をするとは思えん。事実、湾岸戦争時にここらへんを使ったという情報があるし、(略)

……。

あのですね、「TCP/IPのプロトコルを策定」というのはどういう 意味かちょっと判りかねるのですが、TCPとIPについては 仕様は全て公開されています (IPTCP)し、 実装も全て公開されたものが なんぼでもあるし(これはFreeBSDのnetinet回り)、ボブ・カーンも ヴィント・サーフもジョン・ポステルももともと国防総省の人という わけではありません。戦争で使うにはTCP/IPのさらに上のレイヤーで 何かを使うわけで、TCP/IP自体は隠せるものも何もないただの プロトコルです。 この辺の歴史的な話は『インターネットの起源』 【 bk1 / ISIZE / 旭屋 / Jbook / BOL / 紀伊國屋 / amazon / eS! / 富士山 / 本屋さん 】が詳しいです。機会があれば是非読みましょう。


2002/05/22 (Wed)

[BOOK] 臨床的根拠

この前の 精神分析というか、斎藤環さんの解説の件ですが、 風野さんから コメントが。どうもありがとうございます。

……って、斎藤環さんは精神分析医なんですよね? だって、件の解説の 後ろに「(さいとう・たまき 精神分析医)」って書いてありますよ?(汗;
(とはいうものの、私自身は「精神分析医」なる肩書が何を意味しているのか、 実はよく知らなかったりするのですが。 職種なのか、資格なのか、それとも特定の手法を日常的に使う医師のことなのか、 使わないかもしれないけど習得はしている医師のことなのか、 あるいは職種とは関係のない何かなのか、とか。)

え、えーと、話を戻して。

そう、そのp.431-432の話です。 あそこの議論は、私から見ると「主張そのもの」も 「その根拠の説明」もよく分からないものであり (さすがは「過度に理念的なモデル」だ)、 それをつなげるものを「臨床的根拠」「臨床的事実」とされてしまったので、 どうしたもんかいな、という気持ちなのです。

風野さんが引用しているところの直前の部分を含めて引用してみます。

(前略) 超越論性を維持するためのファルスとは「ゼロ記号」だ。 いかなる実体も持ち得ず、いかなる存在も主張できない がための特権的記号、特権的位置なのだ。 それはわれわれの「意識」における仮想的な中心、 すなわち「(抹消された)主体」に対応する。 この機能はもちろん、ファルスの単独性ゆえに成立する ものであり、それはゼロと同じ機能を持つ数字が ゼロ以外に存在しないことに対応している。 複数に、つまり可算的になった瞬間に、 ファルスは実体化する。そのとき超越論性は 単なる超越性に変質し、体系はすぐさま スタティックなものになってしまうだろう。 そこではもはや、問いに対する回答の複数性など、 とうてい許される余地はないのだ。
 なぜそのように言いうるか。一つは臨床的根拠からだ。 (以下略)

……これを読むと、プチ『知の欺瞞』な気分になってきます。 「それはゼロと同じ機能を持つ数字がゼロ以外に存在しないことに 対応している。」とか言われても。「可算的(countable?)」は 「加算的」なんでしょうか? それとも可算無限? あるいは 文法か何かの用語(から代用したもの)? どの辺に「対応している」 んでしょうか? また、群において単位元が一意に定まることは証明できるんですが (e1 != e2かつ任意のAについてA+e1=e1+A=AとA+e2=e2+A=Aが 成り立つ(←単位元の定義)と仮定すると、e1=e1+e2=e2、つまり e1=e2となり矛盾する)、 それって「超越論性は単なる超越性に変質」することと関係がありますか? ひょっとして、代数学とは異なる<代数>が存在するんでしょうか? ……などなど、斎藤さんへの疑問は募るばかりです。

「(以下略)」に続く議論も、私にはやっぱりよく分からないんですが、 「実際に診ている人間ならではの説得力」もあまり感じられません (っと、斉藤さんの議論は、東さんの議論の矛盾を導こうとしてるんじゃなくて、 「東の提案する『複数の超越論性』からは、貧しい解しか導きえないのでは?」 という「つまらなさ」の指摘をしているように読めました)。

もっとも、東さんはデリダやジジェク経由でラカンに触れまくってるはずなので、 東さんにはそれなりに伝わっているんでしょう。 あの文章が東さんへの呼びかけとしてあるものだと考えれば、 単にラカンに疎い私が対象読者じゃなかっただけなのかもしれませんけど、 それは「解説」で書くべきことじゃないでしょう。

ところで、斉藤さんの勤める爽風会佐々木病院のサイトにある 「ひきこもり」という文書ですが、これは非常に明解で わかりやすいものでした(「社会的ひきこもり」という用語って DSM-IV由来だったのね)。対処法についても、 これこそまさに「臨床的事実」が根拠になっているんでしょうけど、 こちらの文章では、まさに「実際に診ている人間ならではの説得力」 を感じます。 こういう書き方なら、なるほどそうですか、で済むんですけどね。


2002/05/26 (Sun)

「精神分析医」

風野さんから「精神分析医」という呼称や、ラカン派についての 説明が。ありがとうございます。結局「自称」なんですね。 さらに、風野さんのところの 掲示板にもいくつか言及がありました。

もっとも、「精神分析医」という肩書を選んだのは斎藤さんご本人ではない かもしれません。件の解説本文には「精神科医の私」という表記が あります。しかし精神科医も自称なんですね。

ちなみに「ユリイカ」1999年12月号の記事の後ろでは、 「(さいとう たまき・表象精神病理)」となっていますね。 「表象精神病理」って何じゃらほい……。

医学書

「精神分析医」についてちょっと調べてみようと 高田馬場の芳林堂に行ってみたのですが、 医学書のコーナー自体がありませんでした。うう。 そんなもんなんでしょうか。

[BOOK] Cobaltと大特集主義

今年に入り、雑誌Cobaltには大きな変化が生じています。 それは「大特集」の存在です。 先々月あたりから気になっていたので少し調べてみました。

Cobaltは時期によってさまざまな試行錯誤を繰り返しているのですが、 「特集」については1998年が特徴的です。この年は、 なぜか毎号特集が行われていました。

もっとも、この年の特集は、小説が3〜4作載るだけという、 いたってシンプルなものでした。

1999年以降は、このようなテーマ別特集は 毎号は行われてはいません。テーマ別特集(「特集 17歳」など)、 作家特集(「若木未生特集」など)、そしてボーイズ・ラブ特集が 散発的に行われるようになりました。

この中で注目するべきはボーイズ・ラブ特集でしょう。 特集の一環として掲載される小説の数が増えているのに加え、 例えば2000年10月号では作家アンケートやホストクラブ取材記事(謎)、 2001年10月号では、読者アンケートや座談会など、 小説以外の記事が現れるようになります。

この「小説以外の記事と組み合わせる」という傾向は、 ボーイズ・ラブ以外のテーマ別特集についても、 徐々に広がっていきます。 たとえば、2001年4月号の「新人競作 私ってワガママ?」と 2001年10月号の「新学期、特別テーマ競作」。 前者は「渋谷街頭104人アンケート」、 後者は「「学校」を斬る! 座談会」という記事が、企画と関連して 行われています。もっとも、この二つでは、小説はそれぞれ4つ・ 3つと、あまり多くはありません。 これが変化するのは、2002年になってからです。

最初は2002年2月号でした。この号は、 「大特集 陰陽師」として、小説が5つ、小説以外の記事が4つ、 また「ヴァレンタイン短編小説特集」として、 小説が6つ掲載されています。

次の4月号からは、特集が一本化されます。 この号では「新学期 学園大特集」として、 小説が7つ、小説以外の記事が5つ、 竹岡姉妹によるミニテディストーリーも「学校ぶらさがり編」 となっています。

さらに6月号は「魔法ファンタジー大特集」として、 小説が9つ、マンガが2つ、それ以外の記事が2つ、 ミニテディストーリーも「魔法でどっきり編」 となっています。

そして8月号の予告には、「ちょーヒロイン大特集」として、 野梨原花南・宮城とおこ・藤原眞莉・今野緒雪・若木未生・ 橘香いくの・真堂樹(ここまではタイトルと内容の予告つき)と、 深谷晶子・小松由加子・石川宏宇・深志いつき・清水朔・なかじまみさを (こちらは作者名のみ)と、たくさんの作家さんが挙げられています。 つまり、(原稿さえ落ちなければ……)10を越える小説(宮城とおこは もちろんマンガ)が特集として掲載されることになるわけです。

以前のテーマ別特集は、比較的「新人の発表の場」として機能して いました。一方、今年に入ってからの大特集では、それなりに人気が ありそうなシリーズの作品も、新人の短編も、何でも載せるように なりつつあるようです。これに、ボーイズラブ特集で展開された 「大量の小説&小説以外の特集記事」という形式が相俟って、 現在の大特集のスタイルが形作られているのです。

というわけで、ボーイズ・ラブがCobaltにもたらしたものは 「大特集」というスタイルだった、と言えそうです。 うーん、ちょっと意外な結論です。

[BOOK] プチポエマー阿部和重(謎)

そういえば、Cobaltのi-mode用サイト、 iコバルトで募集している プチポエム賞の選者が 阿部和重だというのは、 一般小説読みにも知られているのでしょうか。 もっとも、(残念ながら)本人がプチポエムを作ってるわけじゃなくて、 選考するだけです。

「選考を終えて」では、Eメールや携帯電話は投稿者にとって 生活の一部となっているので「開拓の余地がありそう」と 語ったり、日々の実感と想像力のバランスの重要性を 訴えたりするなど、真面目な創作論になっていて興味深いです。

[BOOK] 眉村・瀬名対談

もう一つCobaltネタ。

Cobalt8月号では、2002年度ロマン大賞の発表が あるのですが、その関連で「審査員スペシャル対談」 として眉村卓・瀬名秀明対談があるそうです。 眉村さんと瀬名さんの対談はこれが始めてでしょうか?


2002/05/30 (Thu)

防衛庁が情報公開請求者の身元調査・リスト作成回覧

セキュリティホールmemoの自衛隊が思想調査、話 とか、 Yahoo!の防衛庁リスト作成問題とか。

もうね、(以下略)

もしも請求者の氏名や住所を見なくちゃいけない部署の人が、 個人で調べてリストを作って瞬間に破棄、 ということだったらまだグレーで済むかもしれませんが、 他の人に見せた時点でアウトでしょう。 そのリストを見て注意しなかった人もアウト。駄目すぎですね。

2002年5月28日の中谷長官会見概要より。

Q:  いまのお話しを聞くと、事務手続きで思想・信条が必要な場合もあるということですか。
A:  やはり国家の機密的なことがございますので。
Q:  情報公開に関しては、国家の機密になれば開示しないわけですよね。
A:  はい。

だったら必要ないだろ!と思わず突っ込みたくなります。まるで出来の悪いネタです。

でも、最終的には 「やはり個人の思想・信条によって情報を公開する・しないの判断基準にしてはいけないし、わけ隔てなく取り扱わなければならないので、おかしいと思います。」 「個人の身上とか背景などを載せたリストは作るべきではないと思います。」 と言い切ってますね。当然ですが。

表象精神病理

蔓葉さんのところによると、「表象精神病理」は造語らしいです。 なるほど。

検索エンジンで「表象精神病理」を探してみました。googleでは0件、 goo.ne.jpでは1件ありましたが、これは斎藤環さんについての文で 使われているだけのようです。他の人にはあまり広まってない、 ということでしょうか。

ところで、『文脈病』あとがきからの引用らしい「みずから主張する立場を持たない。」 という言葉には共感するものがあります。私もそうなので。雑多な仕事や勉強 ばかりしているのはいかんなあ、とは思っているのですが。





written by TAKAHASHI 'Maki' Masayoshi (maki@rubycolor.org)
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