ライブのチケットが完売していたのに気づいたのは一昨日のことでした。がーん。 まあ、使わなかった金と時間は減らないということにします(<すっぱいブドウモード)。
冬が来る 恋が終わる
遠い波が白く光る
たったひとり ひとりでいいのに
その人は離れていく
(鈴木祥子(作詞:川村真澄) 『サンデーバザール』)
秋は川村真澄時代の祥子さんの歌が心に響きます。
『ハッピー・バースディ』について。そろそろ内容に ふれても良い頃でしょうか? いや、ネタバレは書きませんが。
帯の「そのひとことが、あたしを殺す」は かなり外しているように思います。金字塔、というのもちょっとなあ。 でも「『おしまいの日』から10年」、というのはうまいかも。
Taniguchiさんのところより。あー、でも、この本を楽しめる人は 「新井素子が好きな人」は置いておくと、 「本をあまり読まない人」と「本を読みこむ人」に分かれるかもしれません。 前者はふつうに、後者は深読みを重ねて読むとか。逆に、普通に小説を 読んでる人が普通に読んでも、物足りない感じになってしまうかも。
でも、新井素子を期待して読むと、ほんとに新井素子なんですよね。 そういう意味では期待を裏切りません。 ヒラマドさんのところにもありましたが、新井素子した 新井素子が読める、というのは、私にとってはとてもとても ありがたいことです。読み始めてから20年近くたっても、 20年近くたったなりに成長または変化した新井素子の作品が、新作として、 リアルタイムで読める。ファンのはしくれとして、これ以上の 喜びはありません。
結局内容については書いていないような(汗
いきなり身辺があわただしくなる今日このごろ。
日経デジタルコアが 情報セキュリティー推進への提言というのを出しているのですが、 その内容はさておき、 メンバーリストの中にある 「帆場 英次氏 (情報セキュリティー アナリスト)」 という名前と肩書きが気になりました。
ペンネームだとしても、ちょっとできすぎです。 その筋では有名な方なんでしょうか。
今日チケットが追加販売される、という噂を聞いたので、 ぴあに行ってきました。列に並んでいるときには、 12月24日の分はもうないけど25日の分が残っている、とのことだったのですが、 いざ買おうとした瞬間には売り切れていました。
悲しみが3倍くらいになったような気がします。
あまりの悲しさに思わず飯田隆『言語哲学大全』を全巻大人買いしそうに なりました。いや、実家に帰ったときに、 『言語哲学大全 I』の読書メモ(もちろん自分で書いたもの。 当時は図書館で借りて読んでた)を発見したりしたこともありまして。 よくそんなことをしてたもんだ>自分。 それにしても『IV』が日本語意味論になってしまったらしいのにはびっくりでした。
川村真澄さんと言えば、初期の鈴木祥子さんの歌を語る上で 外せない存在だといえるでしょう。何せ一時期はアルバム全曲の作詞を していたのですから。作曲はやるけど作詞は 別の一人におまかせ、という歌うたいの人は珍しかったと思います。 もっとも、だからこそ川村さんの存在が、祥子さんにとっては重荷だった のかもしれないのですが……。
祥子さんの評価について、「昔の方がよかった」という人も、 「昔の歌は本当の『鈴木祥子』じゃない」という人もいるようです。 私も確かに一時期祥子さんから離れていて、 それは祥子さんの路線の変化とは無関係ではないように思うのですが、 今はどちらもそれぞれ好きです。 いや、それぞれの良さが判るようになってよかった、というべきでしょうか。
そんなわけで、 alagonさんのところより。『危ない橋』、これもとてもいいですよね。 祥子さんの歌と佐橋さんのギターだけのシンプルな構成で、 前半の静かな歌が 「ぬるま湯のような」で一気に盛り上がり、 「どうして」「あなたは」「笑うの」と畳み掛け、 最後に「わたしの手を 離さないで」と駄目押し。 すばらしい。
ただ、こういうあやうい歌は今の私には毒なので(^^;、 あんまり聴き過ぎないようにしています。
藤井さんのところより。
はい、もちろんミステリ界ではネタバレは犯罪です。 やはり伏字にするとか、コメントにするとか、 背景色にするとか、2ちゃんねるならメール欄に書くとか の工夫は求められるでしょう、ふつう。言論そのものを統制 しようとはしませんが、 不幸を防ぐための手法があるならそれを使え、ということで。
……とはいえ、今回の件で問題となったのは直接ミステリと関係ないところ なんですよね(違ったりして。でも『異邦の騎士』だったらそれしか思いつかない)。 なので、人によって対応が分かれるところかもしれません。 似たようなことをSFで言うなら、たとえば 『ファウンデーションと地球』のアレについて書いていいのか、 書いてる人を見つけたら説得するかどうか、 みたいなことでしょうか。
あと、葉山さんが書いた 「探偵小説を読む3 殊能将之『ハサミ男』の伏線について」 の話なんかもありましたっけ。SF読みで殊能読みの人は 読まれるといいかも。 なお、上のリンクは『ハサミ男』のネタを思いっきりばらしているので 未読の人はご注意ください、といったようなネタバレ警告を リンクする際に書くのも、不幸を防ぐための古典的な手法の一つです。
DASACONに関連して賞に関するアンケートをやっています。よろしければご協力くださいませ。
それにしても、SFマガジン読者賞のリストってWeb上には存在しないんでしょうか?
ネタバレは、根本的に暴力的なものなのかもしれません。 ネタバレを書かれることの暴力と、ネタバレを恐れるため 書きたいことが書けない、書いていいことの判断がつかない (ネタバレの規準は書き手ではなく読み手にあるので)という抑圧。 どちらも被害者意識を持ちやすいので、ヒートアップしやすいのかも。
ネタバレについて、 野嵜さんの日記(平成14年10月9日)では、「要は「種明かし」の事」 と書かれていました。なるほど。で、「種明かし」で検索してみたら、 奇術方面でも最近(でもないか)種明かしが話題になっていたようです。 こんな議論があったんですね。知りませんでした。
厚川昌男さん(泡坂妻夫さん)の意見もあります。
ところで、「ネタバレしただけで讀む意味の消滅するミステリ」って、 なにやらすごそうですね。 全ての意味がそのネタ一点だけに集中するミステリ、というのは、 ある種のミステリ作家・ミステリファンにとっては「究極のミステリ」と言えるでしょう。 私も一度読んでみたいものです(って、読んでも伏線を読みきれないかも)。
ミステリに近いジャンルといえば、奇術の他にパズルがあります。 パズルの場合、懸賞つきでなければ、その解答はあっさり公開されます。
ペンシルパズルなどで比較的秘匿されがちな知識は、「定理」と呼ばれる 解くためのショートカットでしょうか。 定理は「自分で見つけるほうが楽しいのでみだりに公開するべきではない」と されてはいますが、だからといって公開することが問題になるとはあまり 思えません (例:スリザーリンク(ナンバーライン)解法教室)。